『Fate/Triangle night』




Capt:3 戦闘

『では続きまして、最近多発しております連続通り魔事件の続報です。昨晩未明、海鳴市栢山町四丁目にあります三直公園にて女性の他殺体が発見されました。調べによりますと、ここ五日間連続で起こっている通り魔殺人と同様の手口である事が判明し……』

 さざなみ寮の朝は早い。
 寮生全員の食事を完璧に揃えなければならず、その使命を真っ当できなければ、寮の大魔王である仁村真雪、小魔王であるリスティ=槙原(耕介の養女だ)、破壊魔王陣内美緒。そして二代目妖怪大食いである桂木さとみにどんな仕打ちを受けるかわかったものではないからだ。
 そんな準備をしながら付けっぱなしのテレビから流れてきた陰惨なニュースに、耕介は大きく息をついた。

「……最近物騒だなぁ。子供連中は部活終わったら迎えに行こうかな」

「いくら物騒だからといって、この地方都市だけでも万を超える人々が生きておる。早々不運が降りかかる事もあるまい」

 と、独り言で返答など期待していなかった呟きに戻ってきた答えに、耕介はダイニングを覗き込むと、先日より神咲那美公認でさざなみ寮を仮住まいとする事になったキャスターがニュースを眺めつつ手を上げて廊下から入ってきた。

「おはよう。何か飲む?」

「そうじゃな。烏龍茶なんてあるかの?」

「OK。ちょっと座って待ってて」

 言われるより前に、キャスターは小さく頷くとテレビ前にあるソファに腰を下ろして未だ続いている通り魔事件を熱心に見始めた。
 耕介はそんなキャスターを毎朝の事と溜息をついて、冷蔵庫から烏龍茶を取り出すと、小さな鍋で温めている間に日本茶碗を用意した。それから温めたお茶を注ぐと、居間にいるキャスターに持っていった。

「お待たせ」

「ん」

 テレビから視線を離さずに手だけ出して茶碗を受け取ると、一口含んだ。
 それから少し間をおいて、朝食の準備に戻ろうとした耕介の背中に、ぽつりと呟いた。

「……これは戦闘開始になったかもしれんな」

††       ††       ††       ††       ††       ††       ††       ††       ††       
 その日、椎名ゆうひは久しぶりの半日オフに、午後の爽やかな陽気の中で背伸びをした。
 ぐっと後ろに反らされた所為で、体の前面部の凹凸がはっきりとしたラインを醸し出すが、今の彼女にはどうでも良い事だった。
 手を勢いと重力に任せて下ろしながら、さて何処に行こうかと思案し始めた。

「おい」

「ん〜……。そういえば挨拶周りとかなんもしてなかったから、まずはさざなみ寮かな? あ、でもそういうのはコンサート後に行った方が開放感に浸れるやんなぁ」

「……おい、女」

「あ、やったら翠屋やな。久しぶりに桃子さんのシュークリームええなぁ。そうすると相川君がお店出したっていう話もきーたし、そっちも回るのはありやね」

「女、いい加減にしろ!」

「あ、アーちゃんは好き嫌いありそうやんね。アーちゃん、甘いもの大丈夫?」

 アーチャーの呼びかけに答えず、頭の中で計画を練っていたゆうひに、思わず声を荒げた彼の表情を無視して何とも間の抜けた質問をした。思わず毒気を抜かれて、アーチャーは小さく頷いてしまった。

「ん。OK! なら今日は海鳴の甘味処制覇やね」

 彼の反応に満足げな笑顔を浮かべると、ゆうひはそう踵を返した。
 そこでようやくアーチャーははっと自分を取り戻すと、少々苛立っている様子を隠そうともせず、ゆうひの後ろに続く。

「おい、女! いい加減我の話を聞け! 貴様にどんな事情があろうとも、王である我の言葉が最重要なのは当然であろうに……」

「アーちゃん、ちょい煩いで。折角町に行くんやから、静かにしぃや」

 しかし、そんなアーチャーの不満も、ゆうひに掛かれば子供のように鼻の天辺をすらりとした指先でぴんと弾くと、全く陰りのない足つきでまた歩き出した。
 さしものアーチャーも諦めたのか、口を噤み大人しく彼女に従う事にした。

(くそ! ここまで面倒な女がマスターとは……)

 思わず心の中で毒つく。
 それも仕方ないだろう。
 アーチャーがこの海鳴に現界してから五日。この椎名ゆうひというマスターにほとほと困り果てていた。あの黒いアサシンを撃退した後も、自分を敬おうともせずに王という名乗りをあっけらかんと笑い飛ばすと、そのまま人を病気扱いした上で、一から十まで聖杯戦争について説明をさせ、終わるや否や『あほらしい』の一言ですっぱり切り捨ててしまった。
 さすがに閉口した上で、余りにも短い怒髪天によりゆうひを殺して別のマスターを探そうとした時、彼女から流れ込んでくる力の大きさに気付いた。純粋な魔力ではないのだが、少なくとも前マスターや前々マスターよりも巨大なものだった。
 今ゆうひを殺すのは容易い。しかし、彼女以上の力の持ち主をマスターに据えるとなると、幾らマスターからの魔力提供なしで三日は活動が可能であるクラス:アーチャーとは言え、難しいだろう。
 それでも彼の元々持ちえるプライドは、限界まで揺らいだ。それでも最終的に聖杯戦争の勝利を選んだ辺り、尤も重要な判断は行えたらしい。
 そういう訳で、契約以降霊体にならず彼女に付き従っているのだが、仕事が忙しいという理由でまるで動かない。そうしているうちに五日が過ぎ、ようやく自由に動ける休みの時間となったのだが、言うに事欠いて甘味を食すると来た。
 普段であれば、ゆうひのような態度の女性は即座に殺してしまっているところだが、聖杯戦争で確実な勝利を物にするという、アンリマユから開放された事で持ちえるようになった思考が、それを思い留まらせていた。
 それに何だかんだと言っても、アーチャー自身が甘いものは好きなのである。
 浮かれて地から十センチは浮かんでいるマスターの後ろを、普段通りの自信とプライドに溢れた笑みを浮かべながらついていった。
 現在ゆうひ達は海鳴ベイサイドホテルの一室を借りながら、海鳴で行われるコンサートの準備をしている。いつもであればさざなみ寮に顔を見せるところなのだが、今回はアーチャーが出てきてしまった。そのため、男子禁制(特定男子は除く)の女子寮に連れて行く訳にもいかないため、終止ホテルに滞在を余儀なくされた。

「と、いうか、あんな金ぴかと大きな態度な人を連れてったら、とんでもない事になってまうわ」

 主に真雪とリスティが。とまでは口に乗せなかったが、後ろでアーチャーが不思議そうな表情を浮かべた。
 彼は今は逆立っていた金髪を下ろし、黒色のジャージに身を包んでいる。この程度であれば特に目立つ事はないだろう。

「ん? おい、女。あそこにある宝石はは良いな。我に献上しろ」

「……この何でかわからない自信がなければ普通なんやけどね」

「おい、女」

「あかんあかん。今はそんな手持ちあらへんし、それにちょっとした小休止はウィンドウショッピングより美味しいもんを鱈腹食べるて決めたんや」

「何を言う。我は王ぞ。この世の全ては我のものだ。従って我に従うのは世の理にして下郎にとっては最上の喜びと言うもの」

「何をぐちぐち言うてんや。ええから行くで〜」

「む! お、おい! 女! 引っ張るな! 離せ無礼者!」

 一昔前のコントと言えるくらいに見事にアーチャーの耳を引っ張りながら、ゆうひは嘆息交じりに往来を進み始めた。
 そして彼自身は気付いていないが、昔であれば殺害していたであろうゆうひの行動に対して、呆れつつもあまり怒りに来ていないアーチャーもまた、やはり前回の聖杯戦争以降、変化があったのかもしれない。
 それでも表通りは目立つ。
 元々有名人であるゆうひに、隣には長身のアーチャーだ。否応にも視線は集まる。海鳴に来る前にオーストラリアのシドニーでコンサートと開いた時、オフに一人で町を歩いた時は、人に囲まれて身動きが取れなくなった。それほどの大都市ではなく、第二の故郷と言える地方都市とはいえ、ゆうひの人気は人並みならない。
 その時の様子を思い出し、思わず苦笑が零れた。

「アーちゃん、こっち」

 駅前通からオフィスビルの並ぶ区域から住宅地。そのまま商店街へと抜けられる、学生時代によく利用した裏道にアーチャーの手を引いて飛び込んだ。
 夜であれば程よく暗く、変質者が出没しやすい通路となるが、昼間は使いやすい裏道に過ぎない。軽い足取りのままアーチャーの手を引いて進んでいく。
 その感覚がゆうひには懐かしかった。
 海鳴に来たばかりの時、見た目の良さから頻繁にナンパされた。そんな時友人達と一緒に逃走経路として裏道を良く利用した。
 ちらりと後ろを見る。
 そこには手を惹かれてしまって少々慌てて、憮然としながらもついてきてくれるアーチャーの姿があった。弱度の男性恐怖症を抱えているゆうひにとって、男性の手を引くなど信じられない事実だ。だが繋いだ手は嫌悪感を引き起こさず、それどころか楽しい感情が浮かんでくる。
 五日前。
 アーチャーが目の前に現界して、大まかな説明は受けた。魔術師同士の闘い聖杯戦争。何でも願いの叶う願望器。そして彼が人間ではなく英雄と呼ばれて、人類の守護者システムに組み込まれている、現実に存在していない過去の人間である事。
 そんな普通の存在ではないからこそ、ゆうひは意識せずにアーチャーの手を……と、いうより、初めて男性と手を繋いで歩くと言う行為を楽しんでいた。
 但し、裏道の角を曲がり、表通りと住宅地のちょうど中間に差し掛かって、アーチャーが強く手を振り解くまでは。

「!」

「ア、アーチャー?」

 文句は多くとも、今までこんな邪険と呼んでも差し障りない行動は初めてで、ゆうひは少なからずショックを受けながらアーチャーへと振り返った。
 途端、目の飛び込んできたのは、黒い色。そしてぐらりと体が傾くや顔を黒い色に押し付けられたまま硬い地面を転がった。
 あまりの展開に声は出ない。
 だが回転が止まると、今度は乱暴にゆうひの体が突き飛ばされた。そこでようやくゆうひはアーチャーの胸に顔を押し付けられたまま、地面を転がったと理解した。

「ちょ! アーちゃん! いきなり何をする……」

「黙っていろ女」

 抗議の声を上げかけたゆうひを一言で沈黙させると、アーチャーは立ち上がりながら、五日前に見せていた自信と暴力を好む凶悪な笑みを口元に浮かび上がらせた。
 その笑みに、ゆうひの背がバケツの水をひっくり返したような冷や汗に包まれる。あわせて、体の芯から冷えた時と同じく、内側から生まれる震えが全身を支配する。

(な、何なん? 寒い……。それに怖い……)

 アーチャーに続いて立ち上がろうとした体が、一瞬にして力が抜け落ち、再びアスファルトの上にしゃがみ込ませた。
 だがアーチャーはそんなゆうひを一瞥する事もなく、ただ前方一点を見つめ続けた。
 体に力は入らないが、それでもその様子に疑問を持ったゆうひも、彼の見ている方へと視線を動かし――。

「ぇ?」

 そう言葉を零して固まった。
 それも仕方ないだろう。
 突然目の前に肩を曝け出すタイプの紫色のドレスを、胸のギリギリまで下げ、足首まで隠れてしまう長さの丈は、恐らく整っているであろう人物の下半身を完全に覆い隠していた。
 その容貌はこれから何処か社交界にでも出向くのかと思ってしまう姿格好なのだが、妖美と表現して言葉が滲んでしまう美しい顔は、アップにされた髪と相まって、見つめられただけで竦んでしまうような冷たい印象をゆうひに与えた。
 しかし、アーチャーは違った。
 そんな妖艶なる背格好である女性と視線を交差させながら、口元に浮かぶ狂気の笑みは隠そうともしない。それどころか、まるで長年出会えなかった恋人との再会した。そんな雰囲気に似た感情を浮かばせて、アーチャーは女性の前に仁王立ちした。

「貴様……サーヴァントだな?」

 サーヴァント!
 アーチャーから教わった、願いを叶える為に召還された英雄達の魂。その力は強弱があれど、人間では確実に勝てない強さを持っている。
 アーチャーは、その中で自分自身は最強であるとゆうひに語ったが、そんな彼と同じ英雄となった存在。

(それがあの女性?)

 震えは止まっていないが、それでもアーチャーの言葉に女性を見つめてしまった。
 と、その時、女性がゆうひを見た。
 そして全身を舐めるように眺めた後で、まるで好物を見つけた肉食獣の如く真っ赤な舌で唇を舐めた。

「!」

 怖気が奔った。
 それは弱者の、本能とも言うべきものが動いたと思いたくなかった。
 全身を掻き毟りたくなる恐怖。
 女性はそんなものをただ視線を交差をさせただけで、ゆうひに叩き付けたのだ。
 震えは目に見えて大きくなり、ついに前進を抱えながらその場で蹲った。
 全身の毛穴が開き、背筋だけだった冷や汗が全身を覆う。それだけではなく眼の中に存在していた毛細血管も数本破裂し、ゆうひの眼球は赤く染まった。
 目が合っただけなのに!
 それだけなのに、まるでフルマラソンを走り終えたようだ。
 ぐらりと体が傾いだ。
 すでに自分の体も支えられない。
 意識も傾ぐ体と共に閉じてしまいそうになる。だがそれでもいいとゆうひは思った。僅か数分で彼女の精神も体も疲弊しきった。
 このままもう眠ろう。
 そう決めた時、唐突に殺気が消えた。
 いや、殺気は残っているのだが薄らいだ。全身を震えさせていた殺気は消え、真っ赤に染まりかけていた視界が正常に戻った。

「え?」

 今度は正常に声が出た。ただ乾ききった口内の所為で、声は枯れてしまっていたが。それでも支えられるようになった上半身を持ち上げると、そこには、ゆうひを守るように腕組しながら仁王立ちしているアーチャーの姿があった。

「アーちゃん……」

「くく。たまには搦め手というのも良い物だ。ここまで予想通りに姿を見せるとは」

 ゆうひは目立つ。
 神話の時代より幾多の贅沢を身にしてきたアーチャーには一目見ただけで、この時代の中でも上級に位置するタイプだと理解した。しかも音楽を生業としていて、テレビやラジオにもよく顔や名を馳せている。
 そんなゆうひがどうどうと動いていれば、間違いなく他のサーヴァントとマスターが動くと踏んだ。

「尤も、五日も穴倉に篭る事になるとは思いもしなかったがな」

 通常、聖杯戦争は聖杯が活性化している十四日間で勝敗を決する。
 だが今回の第六回聖杯戦争は何かが違う。
 まず、開放されたアンリマユからの情報では、聖杯は完全に破壊されている。にも関わらず、聖杯戦争の開始という情報が何処からともなく提供された。そして現界しているのだ。
 その中で一番なのは戦争期間の無期限化である。
 今回の聖杯戦争の情報とあわせて与えられた第一情報は、十四日間という期限がなくなったというものだった。
 そのため、アーチャーは五日間の間ゆうひに従う事にした。
 それもただ、敵をおびき出すと言うこの時のために。

「さて、貴様何者だ?」

 いつでも戦闘態勢に入れるように、それでいて自分が最強である誇りを前面に押し出しながら、アーチャーは女性に名を尋ねた。

「可笑しな話ね。名を尋ねるのであれば、例えどこぞの王様であろうとも自分から名乗るものよ」

「ふん。王の命令なるぞ」

「傲慢を王と言い換えられるなら、なるほど、これ以上ない王様ね」

 女性の返答に二人の間に滞っていた空気が火花を散らした。

「……まぁ良いわ。墓に名を刻もうと思ったが、いらぬと言うのであれば、名がないまま死ぬが良い」

 宣言。
 そう。それは王の宣言だ。
 『死ね』という決定に対する宣言――。

「『王の財宝<ゲート・オブ・バビロン>』」

 そして財宝庫の扉は開かれた。
 通常空間を歪曲し、異次元に奉納された古今東西の武器が何もない空間に平面と言う波を浮き上がらせる。
 そしてアーチャーの名に恥じぬ、壮大な幾千幾万という矢が女性に降り注いだ。
 波だった平面は、留まる事なく武器を射出する。
 ゆうひが止める間もなかった。
 だが彼女が自分を責める必要はない。何故ならそれまで日常に生きてきたのに、突然英雄同士の殺気に巻き込まれたのだ。即座に人間的な感情を行える訳がないのだ。
 だから、その次の瞬間に起きた事も、ゆうひには信じられなかった。

「起きなさい。狂えし生命の紅」

 赤。
 それ以外の色彩など存在しなかった。
 女性が宣言した瞬間、彼女の立っている位置から噴出した赤い液体が、飛来した武器の全てを絡め取っていく。

「何?」

「あら? この程度? 嫌ね。本当に傲慢なだけの男なのね」

 会話しながらも、武器は飛来し、液体は絡め取る。
 一撃も到達しないという事実にアーチャーの表情に自信に上乗せされた苛立ちが目立つ。
 それでもアーチャーは圧倒的物量を女性にぶつけていく。
 それでも女性は赤い液体を使って武器を絡め取っていく。
 互いに一歩もその場を動く事もなく、殺気と視線、そして武器だけが火花を散らしていく。
 それはとても静かで、それでいてとても激しい闘い。
 アーチャーの後ろからそれを見ていて、ゆうひは戦慄を感じながら、それでも感動に打ち震えていた。ただその場に立って、己にはむかう敵を打ち倒そうとしているだけなのに、その姿は神々しかった。

(ああ、そうか)

 そこで漠然とゆうひは理解した。

(アーちゃんが言ってたように、これが『王様』なんや)

 ただ傲慢なだけではなく、闘うべき時に敵を打ち倒すために全力を尽くす。その姿は紛れもなく王であった。
 そんな姿を、対峙していた女性はしばし眺めて、小さく嘆息した。

「何か興醒め。攻撃方法からアーチャーだってのはわかったけど、大した事ないんだもの」

「何だと? この雑魚の分際で……」

「その雑魚に一撃一つできないのはどこの糞ったれかしら?」

 ここにきて、女性は今までで一番の妖艶な笑みを浮かべた。
 もちろん、それは挑発以外にはない。
 『王の財宝<ゲート・オブ・バビロン>』は彼女の武器には通用しない。尤も攻撃には適さないため液体を凝縮し、相手の攻撃を絡めとる事を目的とした鉄壁の盾だ。尤も彼女の宝具を利用すれば、この鉄壁は粉砕の武器へと変わるが、自分の意思で利用する事が出来ない。
 それは彼女の契約に関わるのだが、現状では負けないのだから、問題はないが……。

(早くあの女の子を食べてしまいたいのにね)

 ゆうひを初めて見た時から、喉は高鳴った。あの胸の奥で鼓動している心臓を舐め、そこを流れる血液が喉を通るのを想像しただけで軽くエクスタシーを感じるくらいに気に入った。
 だからマスターに頼んで椎名ゆうひスケジュールを確認してもらい、今日という日を待ち望んでいた。その中で機縁と言うべきか、ゆうひがマスターの一人であったのは一石二鳥だ。
 後はアーチャーを倒すだけで、至福の時を満喫できるのだ。
 目の前に獲物が怯えているのにすぐに手を出せない。
 これまで夜に自分の宝具を鍛えるために啜った血よりも美味しそうな獲物がいるというのに!

「マスター、宝具の許可ってもらえないかしら?」

「マスター?」

「ふん。そこにこそこそ隠れているのだから、何かと思えばマスターか。併せて、ここで殺してやろう」

「何を偉そうに。貴方の武器なんて、私には通じないのよ?」

 アーチャーを一瞥しながら、女性はビルの陰になっている方向に向けて声を大きくした。

「それより許可は?」

 挑発のせいで激しくなってくる『王の財宝<ゲート・オブ・バビロン>』を自動操作とした赤い液体で防ぐと、返答のない自分のマスターに向けて顔ごときつい視線を送った。
 マスターは、そんな自分のサーヴァントから殺気の篭った視線を受けると手にしていた大きな茶色のハードカバー本を胸に抱きしめて、迷いを目に浮かべた。
 これまでも、自分の大事な人のために何の関係もない人々を、サーヴァントの元に贄として一日一人の女性を送っていた。
 それでも見も知らない人の命は、大事な人の命よりも軽く感じられたから歯を食いしばり、夢に魘されながらも踏ん張った。
 だけど、今サーヴァントが狙っているのは、間違いなく自分の知り合いで友人と言っても差し支えない人なのだ。もちろん、大事な人に比べれば順位をつければ低くなる。だけれど、歯を食いしばって贄とできる程軽い付き合いの人ではないのだ。
 だが頭の中には、今も家で意識が戻らずにいる大事な人の笑顔が浮かんだ。

「マスター!」

 『王の財宝<ゲート・オブ・バビロン>』の攻撃が激しくなった。
 液体の自動操縦ではある程度までは反応できるが、それ以上になると掌で操らねばならない。女性はマスターから視線をアーチャーに戻すと、掌を突き出した。途端、液体の移動速度が『王の財宝<ゲート・オブ・バビロン>』から吐き出される武器群と同じ速度で絡め取っていく。
 その様子を見て、マスターは本を強く胸に抱きしめて唇を噛んだ。
 この状況は将棋や囲碁で言う千日手に似ている。
 アーチャーの攻撃は絶対純滅力を維持しているが、女性の液体も絶対防御力を誇る。今のままでは延々と戦闘と周囲への被害が生み出されるだけだろう。
 実質数秒程度だが、その思考はマスターには数時間にも感じられた。
 だが、様々な混乱で白くなった頭は理性的な判断は行えなかった。
 無意識に半開きになっていた小さな唇が、ただ一言呟いた。

「――使用を許可します」

 マスターの声が耳朶を打った瞬間、女性の眼差しが変化した。
 それまでどこか舐めきった色を浮かべた瞳が、凶悪で暴力的なものへと変わった。

「ありがとう。マスター」

 武器を絡め取っていた液体の表面が波打つ。
 そして全身を包んでいた魔力が質を換えて、強大に膨らんでいく。
 その波動を感じて、アーチャーの片眉を跳ね上げた。

「ほう」

 口からは楽しげな言葉が零れた。
 前回の聖杯戦争で、ランサーは野性的に。バーサーカーは暴力的に。そしてセイバーは紳士的な敵意を露わにした。
 だが、この女性は理知的に敵意を見せた。

「なるほど。クラス的にはキャスターが一番近いか?」

 魔術師のクラスであるキャスターは、魔術は強いが純粋な戦闘行為には弱い。そのため殺気や敵意も何処か小賢しさが滲む事が多い。
 アーチャーの前で魔力を練り上げている女性は、クラスで行けばキャスターに近いだろう。だが、それにしては自ら姿を見せるなどクラスを無視した行動を取っている。

「キャスターか、もしくはイレギュラークラスか……。どちらにしても我の敵ではないか」

 そう言いつつも、頭の中で己が持つたった一つの宝具が思い描かれる。

「ふん! こんな女狐にもったいないわ!」

 その本能とも言える思い描いた宝具をプライドで打ち消し、それでも『王の財宝<ゲート・オブ・バビロン>』中から、最上ランクに位置するものだけを選別して、女性の宝具に備える。

「……さ、狂いなさい」

 練り上げた魔力が液体へと注がれ、同時に波打っていた表面が波紋一つない凪の状態へと変化した。
 アーチャーも、武器を打ち出すのを止めた。
 肌に感じられる魔力は、己の宝具には及ばないものの間違いなく楽しませるレベルのものだと理解したからだ。
 二人のサーヴァントの間に、沈黙と言う引き絞られた弓の弦が鎮座した。ただ静かに互いに準備した、弦に番えた矢を打ち出すタイミングを計るように、静かに互いを見つめ続ける。
 その中で、二人のマスターは自分の体に掛かった負担に打ち震えていた。
 女性のマスターは宝具承認のために流れ出る力を、なるべく抑えるために。ゆうひは命の根源が梳られていく感覚に、互いに歯を食いしばった。

(何やこれ? 何やこれ? 何やこれ?)

 ぐるぐるとこれまで話半分で聖杯戦争を理解してたゆうひの頭の中で、疑問符だけが回り続ける。
 流れ出す命の感覚に心臓が不整脈を打ち鳴らすが、それに歯止めをかける方法など一考に浮かばなかった。強大な力を行使するためには、マスターにも凶悪な負担が圧し掛かる。それが心身共に。もしくはどちらかも鍛えていない人間では支えられるはずもなかった。
 そんなマスターを無視して、アーチャーは挑発するために、顎を上げ鼻を鳴らした。

「こい、屑が!」

「その傲慢、私の宝具で吸い尽くしてあげるわ」

 女性の宣言と同時に、液体が裏道全てを覆うように広がる。そして満足のいく広がりを終えた瞬間、女性は己が宝具の名を開放した。

『――――――――――――――――!』

††       ††       ††       ††       ††       ††       ††       ††       ††

 その情景を、気配を絶ちながらじっと見据えていた影があった。
 影は戦闘の一部始終を確認すると、つまらなさそうに鼻を鳴らして、何処かへ飛び去った。




と、言う訳で時間がかかりましたがFateの第三話でございます。

夕凪「えっと、いきなり質問」

ほい?

夕凪「アーチャーの『王の財宝<ゲート・オブ・バビロン>』って第四回、第五回と圧倒的な強さを見せたじゃない」

そうね。

夕凪「なのに、なんでこんなあっさりと防がれるの?」

良い所に気付いたね。これ言っておかないと、間違いなく非難轟々さ!

夕凪「……ヲイ」

や、それは冗談として、『王の財宝<ゲート・オブ・バビロン>』ってどんなものか理解している?

夕凪「え? え〜っと、アーチャーが生前溜めておいた宝具の原型となった武器や防具、その他お宝を封じた宝物庫だったっけ?」

大まかな解釈はそれでOK。つまり、そういうのを打ち出す以外に技がないのですよ。まぁまだ第五回で使った鎖とかあるけれど、敵対している女性の正体の関係で、使えません。
あ、今回はあえて使わなかっただけね。

夕凪「で、それが今回の話とどう重なるの?」

つまりね、打ち出すだけなんよ。エアとかと違って、それだけなのね。一つ一つが強いだけで、使いこなしている訳じゃないから、防ぐだけなら誰でも出来る。

夕凪「言われてみれば、セイバーも前回のランサーも、物量で負けてるけど、弾いたりしてるね」

そそ。この女性の武器は赤い液体だけど、これがその物量と相殺できるくらいに防御力に優れていれば、別段確実に負けるわけじゃないのですよ。

夕凪「は〜。相性の問題って訳ね」

そうだね。その関係で言えば、Fate/Zeroのランスロットに匹敵する天敵とも言える。

夕凪「……まさか、自分の作ったサーヴァント最強! 見たいな情けない事したい訳じゃないよね?」

それはない。あの女性のサーヴァントだって、キャスターの技があれば吹き飛ぶし、同じ意味合いでセイバーの宝具でも耐え切れないよ。

夕凪「ああ、なるほど。アーチャーは勝機を逸したわけね」

それはどうかな〜?

夕凪「何やら不適ね……。ま、それはともかく、今回の話の一番の疑問点は以上です」

一応物語中で疑問点は解消予定のため、不思議に思う部分はしばし放置してください(マテ

夕凪「ではでは〜」

また次回〜。

(……こ、今回は殴られないで済んだよ……)
(殴って欲しいの?)
(ご、ご勘弁!)



この女性の正体が気になるな。
美姫 「一体、どこの英雄なのかしらね」
急に始まった聖杯戦争、どんな展開が待っているんだろう。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待っています。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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