『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LXXXY・美緒と氷那と見知らぬ男性

「……と、言う訳で美緒ちゃん。腕の傷が治るまで私の病院で働いてね」
「……にゃ?」
 ある朝、珍しく早寝早起きをした陣内美緒は、同じく朝食を食べていた槙原愛の突然にして唐突な申し出に、耕介が見事に焼いた鮭の切り身の解した部分を箸で一掴みしたまま幼い頃と一切変わっていない団栗眼を何度も瞬いた。
「え〜っと。愛、いきなりなんなのだ?」
「そうだよ。何の前振りもなくそれじゃわかんないよ」
 と、ようやく洗物を終えた耕介も眉を八の字にして席についた。
「あ、あら。ごめんなさい」
 二人から同時に非難とまで言わずとも、戸惑っている意見を言われて愛は顔を真赤にして肩を窄めた。
 その様子に、耕介は再度嘆息すると、視線を美緒へ向けて口を開いた。
「実は四日前のテロで、美緒は比較的怪我が軽かったけど、それでも腕を貫通しちゃっただろ? だからペットショップでアルバイトだと病気にかかったら危ないから、治るまで愛さんの動物病院で働かないかって事なんだ」
「でも、逆に動物病院の方が危ないんじゃないの?」
「確かにね。でも代わりに何かあった場合に美緒を普通の病院につれていけないし、テロの事後処理で陣内さんもまだ海鳴にいるけど、必ず駆け付けられる訳じゃない。そうなると同系列の仕事でも獣医の知識もある愛さんのところに居てくれた方が良いって思ったんだ」
 これは美緒の正体を知っているアルバイト先の店長も同じ意見で、傷が治るまでは愛の元に居た方がいい言ってくれている。
 すでに関係各所へ相談済みである事を悟り、そして自分で考えた結果、二人の大切な家族の意見をそのまま聞き入れる事にした。

 テロから一週間が経過した。
 街は未だ深い傷痕は残っているがそれでも平静を取り戻しつつあった。
空に止めど無く昇っていた煙はようやく途切れ、至る箇所で釘を打つ金槌の音や店先で商売を始める客への呼び声、そして街行く人々に活気が溢れ始めた。
そしてさざなみ寮でも少しずつ日常を取り戻し始めていた。
気になる事があるのか、事務所に戻らずに骨休めよろしく昼間から酒を抱えているリスティと、真雪の看病で長期休暇を貰ってきた知佳。海鳴で仕事があるからといって那美の部屋に泊まっている薫に、そして薫の友達で夕凪の幼馴染という紅美姫も北海道に戻らず気付いたらさざなみ寮の客人として納まってしまった。
「いいか。いい加減長いんだから氷那も負けてばかりじゃだめなのだ!」
 そして真一郎マンションに置けない氷那を預かった美緒は、ここ海鳴に戻ってから毎日小虎の曾孫に当たる青虎に負け続けている氷那の額を指で小突いた。
「ミュ……」
「前に会った時も思ったけど、本当に大妖怪なのか?」
 まんまるの胴体に一応飛べるが申し訳程度の緑の羽という、兎と猫の間の子のような氷那という妖怪に、同じ妖怪である猫又の美緒は小さく息をつく。しかしだからといって急激に成長する筈もなく、仕方なく美緒は溜息混じりに腕時計を見た。時間はもうすぐ十二時を差すところだった。
「うん。それじゃアタシは愛の病院に行って来るのだ。お前達は山で大人しく遊んでるのだ〜」
 一斉に揃った返事をして猫達(と氷那)は踵を返して走っていく美緒を見送った。
 背中が弧を描いている山肌の向こう側へと消えていくまで見送ると、青虎達は一斉に、それでいて音を立てないように注意しながら美緒の後ろを追いかけ始めた。
 それに気付いた氷那は、慌てて羽を動かして青虎達の前に先回りした。
「キュ! キュキュキュ!」
「ニャ。ニャニャニニャ」
 
※作者注意:ここから暫くの間猫と氷那の会話でお楽しみ下さい。

「だ、ダメだよ! 美緒ちゃんは待ってなさいって言ってたじゃないか!」
「煩いなぁ。別に良いんだよ。何時も次郎オジさんのところまで遊びに行ったりしてるんだ。問題ないよ」
「で、でも……」
「あ〜! もう氷那は弱いんだからここで待ってればいいんだ」
 必死に反論の言葉を探す氷那を文字通り猫パンチで転がすと、青虎を先頭にした五匹の猫軍団は真っ直ぐに彼等のボスである猫又の後をついていった。
それでも氷那は仲の良い友人の言いつけを守るために、苦手な飛行を使って猫達を追いかけていった。
良く猫達が溜まっている国守山は真っ直ぐさざなみ寮の横を抜けるように降りていくと、すぐに八束神社の階段口に出る。人の足であれば山道を行かねばならないのだが、猫には格好の下山ルートだ。
軽快な足取りで街へと降りた猫達を必死に追い、氷那はホウホウの体で人影のないアスファルトに着地する。いや、転がったと言っても過言ではない。
「なぁ。氷那の奴ついて来たよ?」
「知らないよ。ついてきたかったら来ればいいんだよ」
 仲間の言葉に耳を貸さず、青虎達は只管歩いていく。
 遠くで氷那の声が聞こえるが、それでも振りかえろうとしない。
 だが、その態度が今回は仇となった。
 唐突に、それでいて必然にゴムが擦れる音と、何か軽くて重い正反した音が辺りに響いた。
 生物であれば生理的に受け付けない音に、猫達だけではなくたまたまその場にいた生物すべてが足を止めた。
 今の音は……?
 中でも青虎は音の方向へ顔を向ける事すらできなかった。
 心臓が激しく鳴り、何故か体が硬直していて身動き一つ取れない。
「青虎! 氷那が!」
「や、やばいよ! あんなに血が出てる!」
「あのオートバイだ! 美緒ちゃんや耕介さんとは違って乱暴だから……!」
 それでも先に振りかえった他の猫達が、一斉に騒ぎ立てて背中越しに氷那へと駆け寄っていくのがわかる。
「氷那! 氷那! ダメだ。全然動かない」
 その言葉が青虎の硬直を解いた。
「待ってろ! 今美緒ちゃんを連れてくる!」
 青虎は大声で叫ぶと、一目散へ駆け出した。
 猫達は何もできないまま、遠くへ消えていくボスの後姿を呆然と見つめていた。
「ん? 何だ?」
 その時、猫達の後ろで人間の声が聞こえた。

 愛が院長を務める槙原動物病院は、国守山の登り坂の入り口に程近い場所にある。普段であればバイクを乗ってくるのだが、何気なく美緒は小学校の時と同じく徒歩で山を降りた。
 テロが起きてから四日という時間は短いようで長い。
 夜には久しぶりにシャリーが遊びに来るという電話もあったので、簡単な打撲しかしなかった耕介は現在学校が休校になっている夕凪達を連れて矢後市に買い物へ出かけている。
 折角薫が泊まっているというのに、真雪がいなければからかい様もなく、凄くつまらない。
 気付くと美緒は無機質なアスファルトを見つめるように俯いていた。
「だ、ダメなのだ! 真雪もいなくて、耕介達も何処か空元気で! 知佳ボーも帰って来るけど多分元気なくて……だったらアタシだけでも元気でいないと……」
 おそらくさざなみ寮で一番心を痛めているのは、愛でも耕介でもなく美緒だろう。
 長い間。
それこそ幼い頃から隣にいてくれた存在がいなくなっていく。別れがあるからこそ出会いがある。成長したからこそ理解できる言葉も、それこそ毎年のように体験していた痛みとはまるで違う。
理不尽な苦痛にも負けない様に自分だけは普段と変わらずに愛を困らせようと思った。
気付いたら流れてくる涙を必死に堪え、美緒はようやく見えてきた槙原動物病院の看板を視界に入れた時、突然真横から一匹の虎毛の猫が飛び出してきた。
 最初は何処か旅をしている野良猫でも出てきたのかと思い警戒した美緒だったが、すぐにその毛並に見覚えがあるのに気付いた。
「青虎? 一体どうしたのだ?」
「ニャニャニャ!」
「え! 氷那が?」
「ニャ!」
「わ、わかったのだ。今行くのだ!」
 すぐさま美緒を先導するように走り出す青虎の後ろを追いかけて、彼女も近道になる家の塀に飛び乗る。
 せり出している枝が時折肌を切るが、その程度の事など構っている暇はない。
 親友の背中を只管見詰め、先にある求める存在を心の中で必死に叫ぶ。
 大切な親友からの忘れ形見ともいうべき氷那を……。
「氷那―!」
「ニャ〜!」
 美緒の懇願に近い叫びに合わせる様に、青虎が鳴いた。
 弾かれたように顔を上げた彼女の視界に飛びこんできたのは、見た事のない男が氷那を抱くようにして両手に持っている姿――。
「何をしてるのだ!」
「え?」
 それは男が振りかえるのと同時だった。
 美緒の怒りが限界に達した瞬間、セミロングの髪に隠れていた猫耳がピンと立ち上がり、そのまま背中の方向へ毛を逆立てて靡く。
「ね、猫耳?」
 男は唐突に変化というべき変わり様を見せた彼女に驚きを上げながら、すぐに耳の毛の靡き方に気付き、突進してくる美緒の進路から一歩退いた。
そこへ見事な美緒の一撃が空を薙いだ。
「避けるな!」
「無茶言うな!」
 続け様に空気を切り裂いていく美緒の爪は、何時しか鋭く獲物に突き刺す凶器へとなっている。
(や、やばい!)
 頭の片隅で警報が最大音量で鳴り響く。
 しかし美緒の目的が胸に抱えている動物でも、見た事もないが傷を負った動物を残していく事などできはしなかった。
「ニャー! ニャニャ!」
「ニャ〜〜〜〜!」
「ニャニャ! ニャニャニャウニャニャ!」
 爪が数本の髪を切り飛ばす。
 いよいよ獣のような動きをする爪が自分へとヒットするのを男が覚悟した時、今度はそれまで唖然としていた猫達が一斉に騒ぎ始めた。
「え? 違う?」
 それに反応したのは美緒であった。
 途端に動きが緩慢になり、直線的だった勢いが急激に蛇行し始める。
「ニャ!」
「え? 助けてくれようとしてた?」
 だが、猫とのやり取りが完全に速度のベクトルに引きずられてしまっている美緒と、必死に避けていた男に災いした。
 ちょうど避けた方向と、美緒が蛇行した方向が交差してしまった。
「あ!」
「え?」
 かわせる筈などある訳もなく、二人は縺れるようにぶつかり倒れた。
 そして次の瞬間……。
「!」
「!」
 美緒が男を押し倒すように二人の唇は見事に重なっていたのだった。




この男、一体何者なのか。
美姫 「うーん、次回が待ち遠しいわね」
誰かな、誰かな〜。
美姫 「それは次回のお楽しみ〜」
次回になれば分かるのかな〜。
美姫 「もしかしたら、次回ではまだ分からないかもね」
う〜ん、どっちにしても次回も楽しみに待ってます。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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