『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LXXX・海鳴市攻防〜分からないから止まれない

 海鳴に向かう車中で、剣心は美由希に聞いた事がある。
「一志、何言ってました?」
 最初は何を聞かれているのかと思ったが、すぐに自分が呆ける前にあった出来事だと気付き、困ったように眉を顰めて、ぱたぱたと手を振った。助手席に乗った一志に聞えないように剣心の耳元に口を寄せた。
「実は……剣士に向いてないって言われたのは覚えてるんですけど、その後が……」
 気が付いたら一志が喉を抑えて咳き込んでおり、どうやら自分が激怒して事を起こしたらしいというのは理解できたが、記憶の間が抜けているので何故一志がそのような話をしだしたのか、分からないために混乱が残っている。
 その話を聞いた剣心は、突然苦笑にも似た笑みを浮かべた。
「ハハ……。実は俺も同じ感じ。気付いたらじいちゃん倒れてて、奥義の伝授は終ったとか言ってさ」
 奥義の形が抜刀術なのは九頭龍閃から感じ取った。そして本気になった比古清十郎の剣気に圧され、正直死を覚悟した瞬間からすっぽりと記憶が消えてしまっている。いや、おそらくは使用直後は覚えていたのだろう。しかし、その後に起きた事件にすべてではないにせよ欠如させてしまったらしい。
「それでも、何となく……今のままで強くなればいいって……そういう事なんだと思います」
 
 今、美由希の前にいるノルシーは異様な武器を持っていた。片手にそれぞれ四本の鞭のような刃を備えた刀を持ち、返り血と油でてかてかに光っている顔の表面を下で舐め回してから、晶と蓮飛を固定している三本の刃を引き抜いた。
「あう!」
「くぅ!」
「晶、レン!」
 抜かれる時に僅かに繋がった繊維を斬り裂かれて苦悶を上げた二人に、桃子は名を呼びながら二階の二人に近いなのはの部屋に向かった。
 二人はかーさんに任せておけばいい。
 本当は兄弟同然に育った二人の側にすぐに駆け寄りたいのだが、紅姫はそれを見逃さないだろう。だからこそ美由希は自分の役割に集中する事にした。
「貴方は許さないわ」
「新しい玩具はただ囀ればいいのよ」
 二本の小太刀の刃が煌き、八本の白刃が生命を吹き込まれたように地面をのたうち始める。
それが闘いの合図であった。
白刃連牙の太刀は、同時に地面に傷を穿ちながら全方向から美由希に迫った。しかしその程度の動きなど美由希には通用しない。軽くステップを踏んで鎌首を持ち上げる直前で左右に身を返しながら次第に速度を乗せてノルシーに迫る。だが彼女もただ白刃連牙の太刀が使えるだけで五色不動上り詰めたわけではない。自分が斬り捨てた人間を容赦なく踏みしめて、周囲に響く苦痛を帯びた悲鳴に身を震わせながらも、美由希の動きに合わせて円に動いていく。それに大して美由希は人を踏まない箇所を探して進んでいく。しかしどうしても激しい動きをすると目測を誤る事がある。美由希も避けたつもりで子供の皮膚を僅かに踏んでしまった。
「いたい!」
「あ、ごめん……」
「ほほほほほほほ! そんなジャンクに気を払う暇はなくてよ!」
 美由希の近くにいた白刃が背後から上下に分かれて牙を剥いた。
「我流、双蛇笙」
 一度手首を内側に捻り、合わせて艶かしい指を外に逸らす仕草によって二本の白刃は片や上空から獲物を狙う鷲の如く、片や気配を消した蛇が地面から鋭い牙を突き立てるように美由希に襲いかかる。
「御神流・奥義之陸・薙旋」
 しかし、美由希は双蛇笙を体の回転を使った変則型薙旋で捌くと、一気にノルシーとの間合いを詰める。
 鞭のような懐までの間が深い武器は、一旦踏みこまれれば弱点となる。美由希は他の二本が未だ数メートルも距離があるのを動く音と気配で確認すると、右足を大きく踏み込んで腰の回転を十分に伝える左小太刀で自分よりも細い腰に向かって薙いだ。と、同時に逃げ場を作らぬために右小太刀を突き出す。だがこの時、美由希は失念していた。蛇の牙は八本ある事に。
「まだまだよぉ」
 甘ったるい媚を売っているような猫撫で声を発して、ノルシーは使っていなかった左手を大きくふるった。瞬間、地面を突き破って何時の間に潜ませていたのか、残された四本がノルシーの目の前に盾のように塞がった。金属の盾は鍛鉄の小太刀と耳障りな衝突音と引っ掻き音を発して、美由希だけが後ろに飛んだ。
「あら? どうしたの? この程度で後ろに下がるなんて、ダメなんだからね?」
 この程度なんて……冗談じゃない……。すごくやり難い……。
 それぞれが長い白刃は、地面の至る場所で姿を確認できた。だが、それがどちらの手に納まっているのかまでは把握し切れない。八本なのか四本なのか、それとも中途半端な本数なのか。まるで分からない。
「さてどうするのかしら? それとも、このまま私に遊ばれてくれるのかしら!」
 だが美由希が対応策を纏める前に、ノルシーが動いた。盾にした連牙の太刀をバラして、刃に変えると、途端に美由希に刃を突き立て始める。
「くっ!」
 退いてもそれまで立っていた場所に一本ずつ突き刺さっていく白刃をかわしていくが、人を気にしない攻撃は傷ついている隣人達に致命傷にもなる一撃を加えながら美由希を追いかけてくる。
(今追いかけてくるのは四本……いや六本。なら残りは何処?)
 大きく見回す余裕などないが、それでも接近する気配のみで確実な事はわからない。その時、右後方から一つの風切り音が耳に届いた。元々崩れていた体勢を少々強引に左に捻り、頬が薄く切れる距離で回避し――。
「美由希、まだ!」
「え?」
 回避し終わる前に突然聞えた叫びに、頭より先に体が反応した。捻りをそのまま回転に変更させ、地面に倒れるように体を落とす。その刹那の瞬間、目の前に二本目が通り過ぎた。
 一本目の影に隠れて二本目が?
 柔道の横受身を取り、腕の力だけで肉体を跳ね上げて怪我人のいない場所に着地した。その様子を二階から見ていた桃子はほっと胸を撫で下ろした。
「み、美由希ちゃんは……?」
 と、後ろから晶に比べて怪我の具合が比較的軽い蓮飛が窓際の桃子に問い掛けた。
「うん。レンの言う通りだったわ。ぎりぎりで避けてたら美由希まで……」
 想像の中で起きた悲劇に少しだけ身を振るわせて、それでも娘を助ける事ができた事に再度安心感が浮かび上がる。
「またお前か! この雌豚がぁ!」
 しかし、突然ノルシーが吠えた。
 先も蓮飛と晶のへのトドメを邪魔され、そして今も美由希への最後すら邪魔された。たった二回の邪魔に、彼女の心の中にあるリミッターが完全にはちきれた。それまでの遊んでいたような雰囲気を一変させ噴出す殺気に、近くにいる美由希だけではなく二階の桃子や蓮飛までも肌を焼くような気に気圧された。
「死んでしまえぇぇぇ!」
 右手に持った白刃連牙の太刀がそんなノルシーの怒りを表現するように一直線に桃子へ向けて動き出す。
「かーさん!」
「邪魔をするなぁ!」
 足元にあった切れ味のよい刃が動いた事に一早く気付いた美由希が止めようと足を動かした瞬間を見計らい、残った四本が同時にとぐろを巻くように円を描く結界を張る。
 ほんの少しの時間だった。
 窓から飛び込んでくる殺気の塊に気付いて体を起こそうとしたが、砕かれた両肩は彼女の意思に反して僅かな力にも耐え切れず、床の上に成長途中の体を投げ出した。そして絨毯を擦りながら上げたその目に桃子の闘いなど一度もした事のない人の笑顔を作り出す手を持った体に、三本の兇刃がいとも簡単に突き刺さった。
 一瞬何が起きたのか理解できなかった。
 ただなのはや恭也、美由希を。そして蓮飛や晶も幾度も背負ってくれた優しい背中に、異物が生えていた。ぬらりと紅色に染まった切っ先は左胸、鳩尾下、右脇腹という人体急所を見事に貫通し、晴らした怒りに満足げに首を項垂らせた。
「あ……あ……あ……」
 凍り付いた空間に、桃子の短い悲鳴だけが朝を告げる小鳥のように響いた。
「ん〜、やっぱり雌豚は殺すに限るわ」
 耳に手を沿えて、悲鳴を楽しむノルシーは、更に良い声を聞こうと太刀を引きぬいた。瞬間、ブシュ! と炭酸入りジュースのプルタブを開けた音に似た破裂音が、ただ一人を除いて場を更に重苦しくさせる。
「ああ……。この零れる音……。何度聞いてもいいわ」
 怒りの果てに聞える最高の美酒の腺が抜けた音に、ノルシーの口元に恍惚が浮かんだ。
「桃子さん! 桃子さん、桃子さん!」
 痛みなどすでに感じてはいなかった。あるのはもう一人の母親と呼べる大切な存在から、生きていくための大事な液体が、無駄に流れ行くその現状に打ちのめされた心だけだ。芋虫のように周囲から見れば情けない動きで必死に倒れた桃子の側に辿りついた蓮飛は、すでに顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃに崩れていた。動かない自分の腕を噛んで傷口に当てる。少しでも血を止めようとしても、両方前後共に噴出す血が止まる筈もない。
 二階の窓から聞えてくる嗚咽も、ノルシーには心安らぐ音楽だ。ぶるりと体を震わせて、恍惚を超えて快楽に達しようとしていた時、それまで剣の結界に閉じ込めていた美由希から、激しい怒号を感じた。瞬間、頭から冷水を被せられたような冷たさが一気に爪先まで流れこんだ。
「な、何なの! こんなの……あの人以外に受けた覚えは……」
 膨れ上がる怒気は、次第に流れる川の奔流となり、奔流は二筋の光と共に拘束を吹き飛ばした。
「貴方は……本気で許さない……」
 そこに修羅がいた。
 顔色を無くした白い肌に月の光を浴びて、綺麗な山吹色に染まった彼女は大気が歪んで見える程の怒りに紅姫が初めて足を後ろに下げた。
「許さないから!」
 それは空間が圧縮された感覚だった。
 地面を蹴った瞬間、美由希とノルシーの間にあった十メートルの距離が歪曲し、まるで虫眼鏡を通して景色を見たような感じが走ったと思うと、次に美由希の体は彼女の隣に存在していた。
「ひっ!」
 生まれて初めて口を飛び出した悲鳴を、彼女は覚えていないだろう。いや、この後に起きる出来事もおそらくは覚えていまい。
「わ、私は、私は!」
 両手の白刃連牙の太刀を一振りで自分の手元に戻すと、柄を合わせて波打たせるように思いっきり頭まで持ち上げてから振り下ろした。
「我流! 八岐大蛇!」
 八つの白刃が同時に地面を動き出した。全てが一本の柄に繋がっている筈なのに、その全てが別々に動き、地面や空気を抉りながら美由希に凶悪な牙を突き立てるべく襲いかかる。
 八岐大蛇にかかれば全方位確実な隙の無い攻撃! 小娘程度では避け切れない!
 確かに今の美由希の目には空が見えない位に密集した白刃と、地面には土砂を巻き上げて土の弾としている白刃がある。巻きこまれれば間違いなくその場でミンチとなるだろう。そんな妄想を浮かべて、恐怖と言う名の感情は急激に征服欲へと変化する。

しかし今の美由希を前に、それはただの命取り以外の何者でもなかった。
 モノクロに映っていた景色は、まだ彼女の意識を領域に留めていた。プールの中に浸っているようなスローモーションの白刃は、ただの動きの大きい鞭に過ぎない。そんな神速の領域を、美由希はあるで何の障害もなく歩いていく。次第にモノクロの世界に変化が生じ始める。見えている景色はまるで変わらないのに、体だけがスムーズに動き始める。
 前に聞いた神速の二段掛けとは違う……。
 怒りの中にある何処か冷静な理性が、美由希の中で呟いた。しかし、それを上回っている怒りは、美由希の体を動かしていく。
 右前方から来る白刃を掌で少し斜め上にある別の刃にぶつけ、体をいれるスペースを作ると、地面を穿つ白刃を一本の小太刀を行く先を読んで突き刺した。
 遅い。
 たった一言で終る感想を心に浮かべ、美由希の冷たい怒りを孕んだ瞳がノルシーを捕えた。
「な、何が起きたの! まるで――!」
 瞬間移動したように!
 確実に美由希をミンチにしたと思ったノルシーの顔が、完全に美由希とは違う白さに見まわれる。
 その言葉さえ、美由希には遅過ぎた。
 神速の領域で攻撃ができないのは、その身体に負担のかかる状態で戦闘行為を行う場合、末端に疲労が蓄積しやすくなる習性を持っている。神速を使うと膝に痛みが走るのはそのせいだ。従って神速を使っている最中に攻撃をすると足腰よりも筋肉の付き方が弱い腕だと一回刀を振るうだけで壊れてしまう。
 しかし、今の美由希には神速の領域は、動き難いものではなく通常空間と同じ世界だった。別に歩いても体に負担はなく色がついていないだけの世界。
 またゆっくりと歩く。それだけでノルシーは信じられない者を見るように、驚愕に恐怖を交えた。
 そんな感情を貴方はどれだけの人に与えてきたの?
 思いだけがまた溢れ、力いっぱい唇を噛み締める。
 そして美由希は手に残った一本の小太刀を煌かせた。

 次の瞬間、ノルシーの両手両足の腱は斬られていた。
 何が起きたのかなど理解できる筈も無い。ただ美由希の姿が消えたと思ったら、本当に両手両足から血が噴出してその場に崩れ落ちていた。力を入れても立ちあがる事もできず、這いずろうとも手も動かない。ただ汚らしい眼を飛び出して癇に障る金切り声を上げていた。
 そんな紅姫に一瞥してから血を振り払って納刀すると、母親を救うために自分ができる事をするために走り出した。



美由希〜♪
美姫 「でも、桃子さんが…」
うぅ…。それはちょっと悲しいかも。
でも、一応、今回は美由希のお話だったので、とりあえずはわ〜いと…。
美姫 「とりあえず、海鳴テロも収束に向ってるわね」
本当に。
でも、その被害が……。
美姫 「次回も気になるわね」
うん。どうか、最後には良い思い出を…。
美姫 「それじゃあ、次回も待ってます〜」



頂きものの部屋へ戻る

SSのトップへ