『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚 73』




LXXV・海鳴市攻防〜機械人形のワルツ

「ねぇ? ここからどうなってるかわかる?」
 完全私有地の森の中に建てられた西洋風の豪邸の玄関先で、月夜に映える濃密な夜の空気を凝縮したような色のロングヘアーを宙に舞わせて、我の強そうな瞳を彼女の背後に控えているメイド服に身を包んだ女性に振り返った。
「いえ……情報が混乱しているようで、ここからでは何も」
「直接向かうしかないって訳ね。いいわ。どうせ居てもヤキモキしちゃうんだから、みんなの様子を見に行くわ」

 大きな爆発音は未だ続いていた。
 五十人体制を増員して百人近い機動隊を出動させたのだが、今刑事課長の目の前に広がっている光景は、呆然とする他ないものだった。
 まず結論から述べると、約半分の警官、消防官、救急官が一目見ただけで致命傷と言うべき傷を負っている。しかも性質が悪い事に、わざと致命傷を避け、長く苦悶を垂れ流しの状態を継続させられていた。助けようにも少しでも近付けば襲ってくる台風のような激しい全身白に整えられていた男の前に、怪我人を増やす一方だった。
「キィヒッヒッヒッヒィ! 何だ? もう御終いか? もっと俺様に血の色を見せろよ! 知ってるか? 苦痛に歪んでいる時の腸の色ってさ、綺麗なピンク色しててよぉ! ああ! 想像しただけでヤヴァイぜ!」
 白魔・ルシード=クルプスは、手近にあってまだ息を引取っていない消防官に、武器である両手の甲につけあ鉤爪を突き刺した。途端に消防官はびくんと大きく体を跳ね上げ、それ以上生命の動きを見せる事無く絶命した。その消え行く命の重みを自らの手に感じて、ルシードは恍惚の表情を小刻みに震わせた。
「ああ……。まだ何度でもイけるっていうのに……キヒヒ!」
 このゲスめ!
 内心ゴチたとしても、何もできない自分が歯痒く、刑事課長はどうしたらいいのか? と思考を巡らせる。早くしなければまだ息のある隊員までが間違いなく一度しかない死を体験する事になるだろう。だがスナイパーは連絡がつかず、機動隊は全滅に近い。一般警官は失禁している事にも気付かないほどにただ呆然とルシードを凝視して……いや、視線を外せないでいる。しかし、それは仕方ないだろう。なんせ、ルシードが立っている場所は.血と肉片しか存在していないのだから。いや、すでに自分自身で築き上げた肉の山に足を下ろしていると言ってもいい。つんと鼻を付く鉄分を含んだ生温い匂いに、臓物から零れた体液が化学反応を起こして悪臭となっているのは、変死体を見慣れた一課のメンバーでさえ吐き気をもよおすレベルだ。
 どうする?
 できるだけ視界にルシードを入れながら、唯一狂気に心を取られていない彼は、必死に頭を回転させる。
 しかし結局使えそうなのは一発目が空砲のリボルバーの銃一丁に、警棒が二本だけで他に使えそうなものは一つもなかった。いや、人員がいれば使えそうなポンプ車はあるのだが、消防官が真っ先にやられてしまったために、動かし方すら分からない。だからと言ってこのまま見ていても、狂人は獲物を求めてくるだろう。
「おい、加藤」
「あ、は、はい?」
 小声でなるべく隣で尻餅をついている部下の一人を、唇を動かさずに呼ぶ。すると彼も多少なりとも理性が残っていたのか、加藤は慌てて上司の顔を見上げた。
「俺が隙を作る。その間に一人でも二人でもいい。まだ生きてる奴を車に放り込んで病院に向かえ」
「え? で、でもそれじゃ課長が……」
「課長命令だ」
 ぴしゃりと自分の決意を折られまいと部下の口を封じて、刑事課長は脇に下げたホルスターから銃を取り出すと、最後にもう一つだけ加藤に指示を与える。そして呆然としている部下を見て、力強く頷いた。
「頼んだぞ」
「か、課長!」
 背中越しに部下の呼ぶ声が聞こえたが、それ以上は耳を貸さず、刑事課長は確実に自らの足で歩み寄っている死に、背中の産毛を逆立たせた。
「お? 今度はお前か?」
 すでに白を紅く塗り替えて、ルシードは目の前に立った一人の中年男性を値踏みするように視線を上下させた。
「ああ。俺が相手だ。尤もこれ以上は好きにさせないぞ」
「キィヒッヒッヒッヒィ! 嬉しい事いうじゃねぇかぁ! 無残に死ぬだけなのに虚勢を張るなんざ、バカもいいところだが、そう言う奴の内臓は、これまたオレンジ色で綺麗なんだ!」
「ふん。死ぬと決めつけるな」
 スーツのボタンを外してネクタイを緩めてから、片手に持った拳銃を目算でルシードに向ける。嬉しそうにその様子を見ていたルシードが、新しい獲物を目指して鉤爪を振るわんとした瞬間、パトカーのスピーカーがハウリング音を発した。
『全員、近くの生きている人を抱えて撤退!』
 それはスピーカーなど使わなくともはっきりと聞えるくらいに大きな加藤の絶叫だった。しかし、それは見事に生残った人々の硬直を解き解す事に成功した。一拍の間はあれど一斉に行動を開始した。更に誉めるべきはすぐに身一つで逃げ出すのではなく、自分の許容量限界まで同僚を抱えていく点だ。それだけでも海鳴警察署の署員が立派に信念を持っているのが伺える。
だが動き出す彼等と入れ違いに呆然となったのはルシードだった。まるで蜘蛛の子を散らしたかのように現場から去っていく。
これが刑事課長が加藤に頼んだ事だった。どれだけ意識が飛んでいようとも刑事として動く事のできる部下が揃っており、周囲を見ると武器はなくとも人材は揃っていた。それを信じての指示だったが、思いの他部下が有能に動いてくれて、刑事課長は笑みを浮かべた。
「お前……お前が……」
 ぽつりとルシードはどんどん消えていく獲物を前に、大きく見開いた瞳を自分の前に立つ刑事課長に向けた。今までの人を殺す事がイコールでエクスタシーに直結している男は思えぬ位に顔面を蒼白にし、充血した眼で刑事課長を捕えている。
 そんなこれまでの狂気しか見せなかった男の変化に、ようやく一つだけし返しができたと、にんまりと口元を歪めてこう言い放った。
「ざまあみろ」
「屑の分際でぇぇぇぇ!」
 その姿は獣。
 白く雪山の王者といえる雪豹の如く低姿勢から右鉤爪が、何とか反応できた刑事課長の太股を深く抉る。いくら警察で柔道をしているとはいえ人外と同じ人間と闘う経験などない彼は、崩れる腰で狙いすら定めずに引き金を引いた。もちろん、あさっての方向へと消えていく鉛の弾丸を周囲を飛び交う小蝿よりも気に止めずに、左鉤爪を銃を持っている右手首に突き入れた。
 所詮はプロと素人。プロであれば踏ん張り、次を考えて生残る方法を思索するが、彼は素人だった。そのまま力なく血の池の中に飛沫を上げて倒れると、激痛が走る手首を必死に抑えた。そこへ無表情になったルシードのトドメの一撃が、顔目掛けて振り下ろそうとしている。。
「課長!」
 心配して戻ってきた加藤が、様子に気付いて悲鳴を上げた。
「距離:二十五メートル。風速:ニ.四メートル。火災によって生じる上昇気流:十.八メートル。着弾点修正」
 その時、加藤の頭上から起伏のない女性の声が聞えて思わず見上げると、そこには一人のショートカットのメイド服の女性が、右の握り拳をルシードに突き出していた。そしてまさに鉤爪が動き始めた瞬間、女性は呟くように言葉を口にした。
「ファイエル」
 瞬間、握り拳は激しい爆発音を発しながら、ファイエルという独逸語で点火、発射を意味する言葉通り、肘より先がミサイルのように撃ち出された。基本的な銃弾の速度は時速九百十キロと言われているが、加藤には飛んだ腕が刹那の後にすでに着弾しているようにしか見えず、素手などでは砕けないアスファルトの道路が砕けたのを確認した。
 だがルシードは着弾点にはいなかった。飛んできた腕を境に、刑事課長と数メートルの場所に着地していたルシードは、怒りに満ちた瞳でメイド服の女性を睨みつけた。
「なんだぁ? たかが機械人形如きが俺様の邪魔をしようってのか?」
「決まってるでしょ! 人の街をこんなにして、しっかりと御仕置はさせてもらうんだからね!」
 答えたのは、メイド服の女性の背後から現れたもう一人の髪の長い少女だった。ルシードと同じく怒りを滲ませた瞳で、血の真中に立つ狂人を一瞥すると、彼女はメイド服の女性に対してこう命令したのだった。
「ノエル! das Tanzbein schwingen Feuer fangen(炎の矢の踊り)モード!」
「了解。忍お嬢様」
 撃ち出した腕をワイヤーで巻き戻し、ノエル=K=エーアリヒカイトは、強化ガラスで作られたサファイヤブルーの瞳の奥に、発光ダイオードの輝きを走らせて、一歩戦場に足を踏み入れた。



おおー、遂に幕が開いた海鳴テロの本格的な戦闘。
最初の口火は闘うメイド、ノエルさん!
戦場において、優雅に舞う白いエプロン。
質素な作りの中に、機能的なデザインと優雅さを感じさせる濃紺のメイド服。
暗闇の中に浮ぶ、白いヘッドピース。
さらに……!
美姫 「はいはい、そこまで!」
ぐぅぅぅぅぅぅ。じ、辞書の角は痛すぎるぞ……。
美姫 「暴走するアンタが悪い」
ぐぅぅぅ。それでも、少しは加減というものを。
美姫 「したじゃない。二つに割れてないし、頭蓋骨陥没もしてないでしょう」
…………。
美姫 「それにしても、遂に始まったわね」
ああ、本格的な戦闘が始まったな。
果たして、剣心、美由希は間に合うのか。
美姫 「そして、他の者たちはどうなっているのか」
とっても気になる〜。
美姫 「次回が待ち遠しいわね」
夜上さん、次回を心待ちにしております!
美姫 「それじゃあ、次回でね♪」



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