『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LXT・負けた理由

「ん……」
 窓から射し込む太陽のせせらぎと小鳥のさえずりに、ようやく何度か呻くように身動ぎしてから重い瞼を何とかこじ開けた。するとそこには見覚えの無い少し赤みを帯びた白い壁が瞳に映った。少し慌てて体を起こすと、剣士としての本能が瞬時に室内をチェックした。
 まず目を引くのは窓際に作られた床の間だ。誰が書いたのかわからないが、見事な水墨画が飾られ、一緒に恭也が喜びそうな鉢植えが雰囲気よく緑を光に照らしている。そのまま視線を右に振ると下半分が桃色でそこに鳩だろうか? 白い鳥が羽ばたいている襖の押入となり、そのまま壁にそって九十度に曲がり、少し間を置いて大きな木目の綺麗な洋服箪笥がある。そして更に横に真っ白な引戸の入り口があり、丁度美由希が視線を合わせたタイミングで、引き戸が開かれた。
 反射的に袖口に手を当て、そこに鋼糸や飛針がない事に舌打する。しかし、戸の向こう側から出てきたのは、今日もツインテールにチェックのリボン、胸にポケットのついたオバーオールのワンピーススカートの下に黄色の半袖Tシャツという出で立ちのなのはが、最初はこっそりと、そして姉の起きた姿を見て笑顔で押し開いた。
「お姉ちゃん! 大丈夫?」
「なのは……? あれ? 何で私……?」
 確か、昨日は腕前を見るって道場で雫さんと剣を合わせて……射抜を指で白刃取りされて……。
 そこまで眠っていた記憶を掘り起こして、ようやく自分が負けて布団に寝かされたのだと悟る。
「そっか。私……。ゴメンね。心配かけちゃって」
「ん〜ん。剣心さんが大丈夫だよって言ってくれたから」
 それでも瞳で、本当? と問い掛けてくる妹に、笑顔で力強く頷くとやっと安心したのか、こちらも本当に嬉しそうに笑顔を返してくれた。
「あ、もうそろそろ朝御飯できるから、お姉ちゃんも起きてきて」
「わかった。ありがとう」
 姉の元気そうな姿に、安堵してなのははぱたぱたと廊下を戻っていった。そんな彼女が居なくなったあけっぱなしの廊下を見詰めながら、手を握り締めて悔しげに震わせた。
 が、客の身の上で何時までも布団の中にいる訳にも行かずに、畳んで押入に押し込む。ちょうどその下のスペースに自分の荷物を見つけ、その時になってようやく自分が昨日のままだと気付く。せめて着替えてからと考えて、簡単に肩から袖が赤色で首から下がクリーム色のトレーナーと朝に鍛錬できなかったので、すぐに剣を振るために普段から使用している紺と紫の中間のような色合いをしたジャージに着替える。
「お〜い、美由希さ〜ん」
「え!」
 廊下から聞こえる足音に混じって、家の次男である男性の声が聞こえた。
「朝御飯出来たって。お? 開いてる。起きたんですか〜?」
 次第に近付いてくる彼の足音に、瞬時に視線が履き掛けのジャージに下がる。
「わ! ちょ! ちょっと待っ……」
 何故、人間は慌てている時に限って、絶対に時間に間に合わないのだろうか? 落ち着いていれば確実に剣心が来る前に履けるのに、案の定と言うか美由希は完全に爪先が出ていない右足で、半ばまでしか足が通っていない左足を踏みつける。
 まぁ詳しく書いているが、要はズボンの裾を踏んだだけである。問題はタイミングであり、少しだけフリルのついた薄いピンクの下着を隠せずに、そのままの格好で後ろに尻餅をついた。
「痛ぁ〜」
「美由希さ〜ん、起きてま……す……?」
 そして見事なタイミングで剣心が部屋に首を突っ込んで、美由希の惨状に、最初は美由希の真っ赤になった顔を凝視して、続いて彼女の下半身を申し訳程度に包んでいるピンクの逆三角形に釘付けになる。もうたっぷりと一分間は互いに硬直して、たらりと剣心の鼻から鼻血が流れるのを見て、文字通り絹を裂くような悲鳴が緋村家に響いた。

「ちぃ〜っす」
 明神一志は神谷活心流唯一の男性師範である。元々江戸時代から続く武士の流れを組む家系で、明治に入って明神家の嫡男が神谷活心流に入門したのを機に、平成の世まで神谷活心流を盛り上げている。主に道場生を相手にしている雫に代わって、埼玉北部にある活心流菊原道場や、港区にある前川道場へ出稽古を中心にしている。それでも週に三日は神奈川の実家から本道場に足を運んでいる。尤も、それは彼の通う私立中学が都内にあり、偶々千代田区に存在していたからと言う理由だけで、別段一志は熱心に剣術を習っている訳ではない。
 今日も九十分三時間の受験生授業を終えて、指定の深緑色のブレザーと黄土色のズボンを百七十八の少しひょろっとした体を包み込みんでやってきた彼は、二時時から汗を流すべく神谷道場の正面玄関を開けて、直後に真中に転がっている物体に思いっきり身を引いた。
 しかしよくよく目を凝らして、それが人間である事に気付いた。
「な、何だ?」
 年齢の割に童顔な顔を多少呆然としつつも確認するために中に踏み込み、恐る恐る袋から取り出した竹刀で突付いてみる。
 反応無し。
 続いて直接指で触ってみる。
 変化無し。
 と、そこまでして、それが見知った顔だと気付いた。
「け、剣心?」
「あら? 一志君。いらっしゃい。今日は何時まで?」
 合わせるように渡り廊下に繋がる扉を開けて、いい汗をかいたといった表情の雫が白さが目立つ、洗剤のコマーシャルに出てきても全然疑問に思われない見事な白さを誇るタオルで汗をぽんぽんと叩くように拭っている。
「あ、こ、こんにちわ……?」
 何故か疑問系になりながらも、とりあえず挨拶だけはしておく。
「えと、雫さん? 何故剣心が……?」
 そう質問しながら、そういえばと思い出す。
 二年くらい前に修行から戻った時があり、胸を貸してもらおうと泊まるつもりで夜分遅くに道場を訪れた一志の目の前にも同じような物体が転がっていた。
 確か、あん時は……。
「もしかして剣心……まさか……?」
「うふふふ。気にしちゃだめよ?」
「う、ういっす」
 これ以上踏み込んではならないと、本能的に直感した一志であった。
「って素で流すなー!」
「あら? 生きてたのね」
 何でそんなに残念そうなんですか? とは聞ける筈も無く、そろそろと一志は足音を忍ばせて更衣室に向かう。
 ゆっくりと閉じられた扉の向こうで激しい絶叫が聞こえてきたが、本能が耳栓をしていた。
 更衣室で手早く胴衣に着替え、竹刀と木刀を持って道場に戻る。すると今度は練習前に精神統一している雫だけが道場に居た。
「あれ? 剣心は?」
「剣心は御爺様が連れていったわ」
 まだ何かするのか……。と、内心で汗を流しながら道場に一礼し、真中まで移動すると続けて師範である雫に一礼して正座する。
「すいません。遅れました!」
 そこへ、更に二人の女性が飛び込んできた。二人とも見覚えは無く、一人は神谷活心流の木刀一刀ではなく鞘付きの練習用小太刀を二本持ち、もう一人は明らかに門下生には見えない。
「昨日、剣心と一緒に出稽古に来てくれました、高町美由希さんと、付き添いのなのはちゃんよ。今日は夜間の部まで門下生は来ませんし、それまでの間一志君が相手をしてあげて」
「高町美由希です。よろしくお願いします」
「えと、高町なのはです」
 年齢の低い一志に戸惑いながら、挨拶をされたので反射的に頭を下げる。だが、戻った顔には何故? という表情へと変わっていた。
「俺が?」
「ええ。師範代の貴方だったら大丈夫です」
 確信を持った雫の視線と、師範代と言う単に信じられない言葉に驚く美由希の視線に多少むっとすると、途端に自らコンプレックスになっている童顔に驚いたと決めつける。
「わかった」
 頷き、すっと剣士モードへ怒りが掛け橋になってスムーズに移行させると、スペースを取るために正面入口を背にする形で正眼に木刀を構えた。その突然の豹変とも取れる一志の変化に、なのはが不安そうに隣の姉を見上げた。
 だが美由希は大丈夫だからと妹のふわふわした髪を優しく撫でると、小太刀を抜いた鞘を彼女に預けた。
 そのまま対面に移動し、両手の小太刀を逆手に構える。
 大丈夫。今日は震えない……。
 薄らと覚えている。昨晩、雫が開放した剣気に気圧され、小太刀を抜かされた事を。その姿に劉閻が重なり、心を恐怖心が支配していた。しかし、二回続けて練習試合といえど負けた事実は、純粋な美由希の剣士としての本能が反応する。心の底にまだ恐怖が残っているのは拭えない。それでも今は目の前で木刀を構える剣士だけに集中できた。
 鞘を置いたのは神速からの抜刀術というある意味御神流の必殺のコンビネーションの選択肢を己から削除し、二振りの剣のみで戦おうと決めたからだ。別に一志を舐めているのではない。ただ今は二本の小太刀で闘わなければ、二度と御神流を名乗れないのではないか? という妙な確信めいたものが心にしこりの様に膨れ上がっていた。
「では、試合を始めますね。ルールは相手が戦闘不能となった場合。負けを宣言した場合。実戦形式ですね」
 昨晩と違い今度は雫が立会人となり、二人の中間に佇んで両人の表情を伺う。
「では……始め!」
 両者ともに異論がないとみて、雫の合図が発せられた。
 しかし美由希も一志でも動かなかった。それは美由希にとっても意外だった。失礼ながら彼はどちらかと言えば前に出てくるタイプに思えたからだ。太い眉毛にはっきりと相手を捕えて外さない芯の強い眼差し。そしてひょろりとしている印象の体が、皮膚はよく日焼けしている。全身から感じる雰囲気は己を立ち止まらせるのが苦手である感じだ。友人であれば率先して先頭に立つ月村忍だろう。
 恭也や剣心、それにニ連敗を受けた劉閻や雫とも違う、言うなれば大地のような剣気だ。どっしりと構えて、隙があるようでどこから打ち込んでも跳ね返される印象だ。
 だけどそれを――打ち砕く!
 このままではどっちにしても状況は変わらないと踏んで、なれば自ら崩しにかかるべく、美由希から袈裟斬りに打ち込む。が、命中する寸前に一志の目が僅かに右に動き、合わせて木刀の切っ先がぴくりと反応した。それは美由希の打ち込んだ左とは反対側。
 後の先?
 相手の動きをある程度予測し、剣閃を見定めて回避と攻撃をカウンター式に放つ、彼の剣豪宮本武蔵が得意とした技だ。
 だが御神流は二刀小太刀であり、神谷活心流は一刀流だ。できるだけ後の先の衝撃を受け取れるように重心は移動させて、余っている小太刀を胸元に上げる。
 しかし……美由希は一つ失念していた。
 半歩だけ左足を下げて死角を作る彼に、昨晩彼女は如何様な技で破れたのかを。
「神谷活心流・奥義の防り!」
 
 刃止め!

 斬撃が通る感触ではなく、固い木藁を叩いたようなものに近いがつんという鈍い音と感触が小太刀を通ってくる。美由希はすぐ頭上に聞こえた風切り音に、余っていた小太刀を一気に振り上げる。瞬間、何故か一志の木刀が十字に交差した。
 何故、一本しか木刀が無いのに……?
 そう思って彼の影に隠れた箇所を見て、ようやく雫の使った技と一志の使った技が同一であるものを理解した。
 木刀の柄と沿え手の甲で刃の潰れた小太刀を挟み込んでいるのだ。だが昨晩と違うのはそのまま挟んだ柄と手の甲を刃に沿って美由希に向けて滑らせ、勢いを利用して小太刀を支点に残った木刀の刃部分を美由希に叩きつけたのだ。
 そうか。刃止めっていうのは、通常の白刃取りと違って、自分の刀を持ったまま、相手の力を制止するための技なんだ。別に指で白刃取りするんじゃなくて、如何に自分の攻撃手段を損なわずに相手の攻め手を封じて、そして、今のようにカウンターで一撃を与える。
 そこまで考えて、続けざまに連撃が来ると悟った美由希は、柔道の巴投げのように一志の腹部に足を当てるとすぐさま蹴り上げた。
 だが彼もまた齢十五で師範代を名乗っている訳ではない。ぐらりと傾いた重心に逆らわずに飛び前受身をする事で蹴りの力を分散させた。
 その様子に、雫は小さく感嘆した。
 一志が刃止めから使ったのは神谷活心流の奥義の攻め・刃渡りと言うもので、美由希が読んだとおりにカウンター技としてセットで使用する。技の派生が早ければ早いほど威力は増大する。
 互いに態勢を整えた美由希と一志は、そのままニ撃、三撃と打ち合いして、鍔迫り合いの態勢に持ちこまた。
 どうやら見掛けほどひょろりとしている訳ではないらしく、恭也やフィリスにバランスのいい筋肉の付き方だと言われた美由希の交差させた小太刀を、震える事無くしっかりと受け止めている。
「……おまえ……馬鹿にしてんのか?」
 そうして数十秒程経った時、突然一志がぽつりと呟いた。
「え?」
 しかし唐突に言われても美由希には良くわからず、腕の力が多少緩んでしまった。それを見逃さずに一志は力の限り押し返す。
「と、と、と……」
 後ろに踏鞴を踏んで転ぶのだけは回避できた彼女に、一志は怒りを秘めた瞳で木刀を突き付けた。
「だから馬鹿にしてるのか! 何だ不抜けた剣ばっかり打ちやがって! 刃止めと刃渡りを見抜いたのはすげぇって本気で思うけど、それだけだ!」
「ちょ、ちょっと待って! 馬鹿にしてないし、全然手を抜いていない!」
 突然烈火の如く怒りを露にする一志に、戸惑いながらも反論した。
「雫さん、こいつ何回負けた?」
「私の知ってる限り二回かしら? 後は剣ちゃんから聞いた限りだと、大体はお兄様と剣の練習をしているらしいわ」
「やっぱりな。だからこんな不抜けてるのか」
 正直何が何やら理解できないが、雫から貰った情報で更に確信を持ったようだった。
「えと、できれば説明が欲しいんだけど……」
 最初の勢いがなくなるが、それでも疑問を解消したいという思いが美由希に言葉を紡がせた。
 頭をがりがりと掻き毟っていた一志は、まだ納まらぬ怒りを隠しもせずにギラついた眼を向けた。
「お前、剣術の基って知ってるか?」
「え? 剣術の……?」
「どんなに綺麗事を並べようとも、剣は凶器、剣術は殺人術。どんなに理想が高くてもそれが真実」
「それは当たり前だと、思うけど」
「ならもう一つ。何のために殺人術となり何のために斬る?」
「何の……ため?」
「自分を守る為だ。自分を守り、自分を護り、自分を防る。そこから派生して強い者と闘える喜びになるんだ。多分お前は俺より強い。強いけど本気じゃない。御神流って事は話しか知らないけど、護衛が中心だろ? 後ろに誰かいないと出せない本気しかないから負けるんだ」
 今まで美由希は恭也ほどの実戦経験はない。理由は簡単だ。初めての実戦である三年前のクリステラチャリティコンサートの襲撃事件まで、恭也が許さなかったからだ。出稽古で近隣の道場に出向く事はあってもそれ以上の稽古はなく、どれだけ実戦形式だとしても鍛錬と言う枠から抜けきらない肉親との修練など無いに等しい。それは大事に育てられてきたという証拠でもあるが、言い返ればただ強い者と闘うだけの経験が無いと言う事だ。
 三年前のフィアッセのコンサートの時は、後ろにCSSのメンバーと恭也がいて、その後はまだ学生だった彼女には主だった実戦は回されず、短時間で終ってしまう簡単な警護ばかりだ。そして久しぶりとなる半年前の実戦でも、フィアッセを護りぬくと言う決意があった。
 そこまで自分の経験を思い出し、ようやく一志が言いたかった事を悟る。
 つまり、美由希には強くなるために自分よりも格が上の存在と、護衛対象無しに闘った経験がないのだ。どれだけ闘っても、同門であれば目標にしかならず、修練という名目がある以上、恭也や美沙斗は最後の一線を超えはしない。
「高町って……ああ、妹さんもそうだから、美由希でいいか。美由希はただ強くなるためだけで、人を斬った事があるか?」
 ある……と、言いたかったが、脳裏に浮かぶのは圧倒的に実力差のある弱い襲撃者か、後ろに誰かがいた時だけしか映像が思い出せない。
 愕然としてしまった美由希に溜息をついて、一志はじろりと師匠になる雫を睨みつけた。「雫さん、今度はこんな奴と練習試合でも何でもさせないでくださいよ?」
「あらあら」
 きっぱりと言い切って、ランニングに行って来ます。と、道場を飛び出す一志を見る事もできず、ようやく形を為した負けた理由に、美由希はまた震え出した手をただ見つめていた。



うーん、美由希が負けた理由か……。
美姫 「ずっしりと重たい理由ね」
果たして、美由希はどんな答えを出すのか。
美姫 「更なる美由希の成長を期待しつつ…」
次回を待っております。
美姫 「ではでは〜」



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