『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




XL[・続く奔流

 互いの獲物は同等の長さと強度を持った刃物だ。
 操は二本の小太刀であり、セルゲイは己の肉体を遺伝子変換させて作り上げた高硬度の爪だ。ぶつかり合うたびに火花が飛び散り、隙を見つけては操の体術がセルゲイに命中し、セルゲイは遺伝子変換で応戦していく。
「はっはぁ! どうした! 御庭番衆と言うのはこの程度か!」
「おまえ程度にこれ以上の技は必要ないだけだ!」
 そう強がってみたものの、忍者というより格闘家に近い性質を持つ御庭番衆の一人である操にとって、樽のように太い体で自分と同じ世界で動く事ができるセルゲイへ決定的な一撃を加えられず、内心で舌打した。常人に比べて体力的に遥かに上を行く鍛錬をしてきたとはいえ、このまま吸血鬼と延々と刃を交えるのはあまりにも不利なのは明白である。何より問題ないのはほとんどの攻撃が効かない事だ。伊達に吸血鬼ではなく、どれだけ致命傷になりえる攻撃も、不死の肉体は吸収されて戦っている最中に回復されてしまうが、操は一撃がそのまま死に直結してしまう。それに加えて遺伝子変換からなる強固な体だ。表面の皮膚細胞を骨を形作る遺伝子に変え、何重にも重ねる事で下手な角度からの一撃など弾いてしまう。
「御庭番式小太刀二刀流! 陰陽交叉!」
 二本の小太刀を十字に交差させ、腕に作られた骨の刃を切断する。
 だが、すぐさま遺伝子変換された皮膚は、簡単に切断された部分を補ってしまう。右から死角をつくように飛来した骨の鞭を一旦しゃがみ込んで回避すると、そのまま地面を転がって一旦態勢を立て直す。
 さてどうする……?
 セルゲイを倒せそうな技は、実は一つだけ存在する。元々祭りで神に捧げる奉納の舞の道具として使用されていた小太刀や脇差の本来の使い方を模した二刀小太刀の奥義とも言える技だが、しかしタイミングを外してしまうと形勢が逆転するどころかイコール死と言っても過言ではない。
 操がこれからの打つ手を考えあぐねている時、対峙しているセルゲイも同様であった。 想像以上に操の動きが良く、仕留めたと思ってもまるで雲を掴むように際どいタイミングで避けられていく。思えば一番最初に遺伝子変換で繰り出した骨のバンカー以来まだ傷らしい傷をつけていない。
 面白い。本当に面白い! たかが人間にここまでの使い手がいるとは! しかも、埋葬機関や協会ではなく、隠密に!
 吸血鬼になって早百五十年。退魔関係の雑魚を殺していく中で一度も感じる事がなかった喜びに、セルゲイは薄らと笑った。
 宝石の魔術師と呼ばれる死徒二十七祖の一人に実験と称して噛まれて、最初にしたのは最愛の妻と娘の生き血を啜る事だった。よく物語で表現されるようにぷちん。という瑞々しい音が頭蓋骨を通じて耳朶を打ち、牙を通じて喉に流れこむ生き血の甘さに当時は本能だけだった彼は甘美な味わいに心底打ち震えた。意識がハッキリしたのはそれから数時間後。彼の住んでいた村を丸まる一つ食し終えてからだった。しかし悲しみはなかった。ただ漠然と「ああ、自分はこういう生物になってしまったんだ」という思いだけが空っぽになった心に吹いていた。それから埋葬機関や協会を中心に各国のエクソシストが何度もセルゲイを消滅させるために闘いを挑んできたが、その何れも大したレベルではなかった。一度は埋葬機関の第一司祭が直接彼の前に立った事もあるが、痛み分けで終っている。
 と、そこまで昔を思い返し、ある事実に行きついた。
 何だ。それは劉閻と変わらないじゃないか。
 思いがけない自分の本性に、笑みが零れる。
「何を笑ってる?」
「いやな、自分の知られざる一面を見るのは思ったより楽しいと言う事だよ」
 パキパキと口内の骨の形状が肉食獣へと変化し、全ての歯が牙へと鋭くなっていく。
「さて、こちらもこれ以上時間をかけている訳にはいかない。決着を着けさせてもらおう」
「こっちの台詞だよな。それって」
 右手の小太刀を下に向け、左の小太刀を逆手に持ち替えて水平に構えると、操も踏み込みが効くように両足のスタンスを少し広げた。
 セルゲイの髪が風もないのにざわめき、ポマードを付けたように逆立つと同時に、腕や足から左右に飛び出した骨の鎌を大きく発展させる。
 そして鎌が発展を終えた瞬間、両者は同時に走り出した。
 操の右手の小太刀と、セルゲイの左手の鎌が衝突する。互いに均衡している力は共に一歩も引かず、二撃目が空を切る。鎌で切り裂くようにセルゲイのハイキックが操の頚静脈を狙うが、操は刃を滑らせながら身を沈めると残った小太刀を自分の頭上に持ち上がった脹脛へと刺突する。しかし命中した先から伝わる硬質の感触に眉を顰める。足そのものを高密度の骨と化し、そのまま踵落としの要領で操の後頭部へと振り落とす。と、ここで操は均衡していた右手の力を抜いた。途端に前のめりになってしまい、踵は肩をかすめてアスファルトに小型のクレーターを穿った。
 大きく揺らいだ太い肉体に肩をぶつけ、そのまま流れるように裏拳を顔面に叩き込み浮いたところへ回し蹴りを放つ。だがあまりの遺伝子変換の反射速度に、全て受け止められる。
 やっぱり隙を作るのが一番速いか……。
 これ以上のやりとりは無駄と悟ると、操の目に決意の光が浮かんだ。
「ほう。何か仕掛けてくるか」
 セルゲイとしてもそれは有難い事だ。
 これまで二十分程打ち合ったが、互いに決定打がない。
 尤も、これまで戦闘行為自体が殆ど経験のないセルゲイが、エキスパートの操と互角に闘っている時点でやはり恐ろしいものがある。だがそれでも、目覚め始めた闘争本能は決着を付けたがっている。どちらが上なのか。この楽しい一時を終えてしまうのは残念だが、終幕はとびきりなものにしたいではないか。
 今まで一度も使った事がないほどに遺伝子変換が彷彿としている。これならば忍者……いや四乃森操の生き血を啜り、何気なく生きてきたこれまでの生に意味をつけられる。
 そんな彼の意思に反応して、骨の鎌がペキペキと音を立てながら別の形に変化した。四本の手の先に向かって鋭い切っ先を伸ばしている小さい鎌が、まるでサッカーのスパイクのように手首から肘に向けて互い違いに出現する。
「くくくく。こんな気持ちは初めてだ。さぞ君の血は美味だろうな」
 両腕を胸の高さで獲物に襲い掛かる猛禽類の爪のように標的を決めた。
「隠密御庭番衆の名にかけて、ここで倒す」
 セルゲイとは対照的に、逆手に小太刀を持った両手をだらりと下げ、無造作に立った。そんなあまりに無警戒な姿勢に、ぴくりと片眉が跳ね上がったが、刃を交えてわかったのか、操が無意味に無駄な行動を足らないと悟り、どんな状況にも対応できるように膝を柔軟に構えた。
 ピンと張り詰めた糸が切れる寸前の、余りに神経が擦り切れるぎりぎりの状態の中で、自分の精神が高揚していくを感じながら、操は大きく胸に熱くなった空気を吸い込んだ。
 それが最後の衝突の合図となった。
 先手を取ったのはセルゲイだった。
「シャァァァァァァァ!」
 奇声を発しながら両手で掴みかかるようにして襲いかかった。しかし、手が触れた瞬間、するりと操の体が指の隙間から抜け落ちた。
「何?」
 タイミングは確実に操を捕えていた。だが、実際は手の内に彼はいなくて、何時の間にか右側に先ほどと変わらない姿勢で立っている。一瞬、幻術でも使われたのかと考えたが、御庭番衆は各自の得意とする武器を選び、それを極限まで鍛え上げ、プラスして格闘技を合わせていく個人技能型のため、幻術の伝承は殆どない。
「ならば何だ?」
 が、答えなど考えて出るものではない。すぐに攻めの中で答えを見据えるべく思考を切り替えた。しかし何度攻撃しようとも水を掴む如く操は逃げてしまう。
「くぅ!」
 次第にセルゲイは足を止め、必死になって人間を超えている筈の視力を全開にして操を追っていた。いつしか自分を中心に円状に何故か分身の如く操が増えて見える。
「これが御庭番衆・奥義の歩法。流水の動き」
 川を流れる水を手で掬うと、全て指の隙間から流れ出してしまう。御庭番衆はその動きを利用し、捕縛される直前に指から零れる水の如く臨機応変に動きを変化させ、まるで相手に雲を掴んでいるように錯覚させる。似た動きに柳の動きというものもあるが、どちらも原理と理論は同じだ。
 本来は基本動作の一つに数えられているが、基本故に奥義なのだ。
「なるほど。水のように器に合わせて形を変える。か。これは厄介な」
 刃衛や劉閻。それに表立って戦うタイプではないが石鶴や遊であれば瞬時に策を思いつくのだろうが、初めて自分の手で闘う楽しみを覚えたばかりのセルゲイには、たった一つしか思いつかなかった。
 ふとセルゲイが動きを完全に止めた事に、操は不信に思った。だがすでに混乱させると言う種を蒔き終えた彼には、この後取るべき一手は一つだけだった。一周して無表情になった彼を見つめると、側面から背後へ移り変わった瞬間に流水は方向を変えた。逆手にした小太刀が静から動へと移る。白刃は初撃を加えるべく進み――。
 キィン!
「待っていた! この一瞬を!」
 背中から、小太刀を抑えるように二本の鎌が上下から突出し、しっかりと挟みこんでいた。
「しま……!」
 まさか背中からも鎌を出せるなんて……!
「これで御終いだ! 四乃森操!」
 肩の関節を外し、両手のスパイクが手首から右、左と交互に逆回転しながらトンネルを掘る削岩ドリルの如く始動すると、動きを止められて驚愕する彼へ凶悪な武器が接近する。その動きから破壊力を推察した操は後ろへ逃げようとして、固定された小太刀に引っ張られて踏鞴を踏んだ。その間にドリルは眼前まで迫っていた。咄嗟に左の小太刀を立てるが、その程度など圧倒的な質量と破壊力の前には無力であり、接触した瞬間に火花と共に砕けた鋼が飛び散る。
 このままじゃ……確実に殺される……。
 だが吸血鬼を倒せる技には二本の小太刀が必要で、しかしすでに半分まで削り取られた小太刀は使い物にならない。
 どうしたらいい? どうしたら……?
 すでに顔の一部は薄く切れ、擦り傷のようになっている。その時、目の端に白いものが地面に落ちているのに気付いた。
「どっせぇぇぇぇい!」
 強引にドリルのない二の腕まで体を伸ばし、右と左のドリルを固定している肩を蹴る。すると今まで小太刀を削っていたドリルが交差して、両方とも全てのスパイクが砕け飛ぶ。
「くわぁ!」
 遺伝子変換を使用せずに強引に剥がれた骨にへばりついてた生肉まで持っていかれて、セルゲイが苦痛を洩らす。だが忍者相手にこの苦痛を口にする僅かな時間は、文字通り手遅れとなる。己が仕出かした過ちに気付き、はっと顔を上げた。
「二刀流・呉鉤十字!」
 鎌に捕えられていた小太刀とすでに七割方刃を失った小太刀が、首元から出ている鎌を上下から斬る。
 パキィィン! と、甲高い音をたてて、小太刀が一本完全に砕けた。しかし上下からの同時加重を受けた鎌は一本完全に斬る事に成功した。そして地面に落ちる前に切り落とした鎌を手にすると、セルゲイの顎から脳に向けて突き刺した。瞬間的に圧縮された血液が口内、鼻腔、眼球、耳朶から同時に噴出す。
「くぅ! 視界が……!」
 血によって塞がれた視界を必死に取り戻すべく、手の甲で血を拭い去る。
 そして回復した視力にふと映ったのは、片手に砕けた小太刀の代わりに先ほど切り落とした一本の鎌を持った操の姿だった。流水の動きから回転を加え、宙を飛んでいる彼を見て、セルゲイは綺麗だと心から感じた。
「隠密御庭番小太刀二刀流……回転剣舞・六連」
 六色の光が走った。
 どちらが先に動いたのかまるでわからない。
 だが、気がついた瞬間、セルゲイの首は噴水の如く鮮血を巻き散らせていた。ぐらりと巨体が揺れ、地面に倒れた。
「……しまった。位置がずれた」
 本来は胸部から腹部にかけて網目状に六本の斬撃を重ねるのだが、どうやら飛び上がったタイミングが悪かったのか、一撃目と三撃目が首に当たってしまった。完全に刎ねはしなかったが、それでも九割方斬り落としてしまった。
 だがこれで吸血鬼事件は解決だ。
 首謀者を完全に殺してしまった罪悪感がないとは言えないが、少なくとも日本を恐怖に落とし入れていた張本人を倒す事に成功したのだから。
 そう考え直し、視線を倒れたセルゲイを見て驚愕した。
「死体がない……だって?」
「キャアアアアアア!」
 その時、離れていたみなみが大きな悲鳴を上げた。
「くっ! 岡本さん!」
「くそぉ! みなみさんを放せ!」
 続けざまに聞こえてきた叫びに、操は弾かれたように視線を向けた。
「ま”さか……こ”こまでや”られるとは”思ってもいなかった”……」
 そこには距離を取る二人と対峙して、薄皮一枚で首を支えてごぷごぷと血を垂れ流しながらみなみを手下の死者に抑えさせているセルゲイ=デュッセルドルフが居た。
「セルゲイ!」
「く”く”く”く”……。さすがに”これではしばらくの休養が必要だ……。しかしせめて”首を繋ぐ代価を払って貰おう”」
 呟くと、彼は死者に首を持ってもらいながら……みなみの首筋に牙を突き入れた。
「!」
「いい加減に岡本さんを放せ!」
 吸血鬼に噛まれたものは忠実な僕となって、生者の生き血を啜る化け物と化す。一般的に浸透している言い伝えは殆ど間違いはないが、実際は少し違う。吸血鬼が血を吸う同時に、自分の血を少しだけ人間の体内へと移動させる。それが適応した場合のみ、死者として血を求める化け物と変化する。しかし、適応しなかった場合はそのまま体液を失ったミイラのような死体へとなる。
 幼い頃に翁から教わった対妖魔用の基礎知識を思い出しながら、操はセルゲイに斬りかかった。しかし、小太刀は空を切り、地面にみなみがぺたんと腰を落とした。
「大丈夫だ。ただ血を頂いただけだ」
 さっきよりハッキリとした口調で、どこからともなくセルゲイの声が聞こえた。しかし姿は見えず、赤星も晶も周囲を見回すが、何時の間にか他の死者達の姿も見えなくなっている。
「ああ、だけど土産は置いておいたよ」
「出て来い! 今決着をつけるんだろ!」
「いやいや、楽しみは後で残しておく事にしたよ」
「みなみさん!」
「岡本さん!」
 歯軋りしながら周囲を警戒する操の横で、みなみに駆け寄った赤星と晶が、ぼんやりとしている彼女に話しかけている。
 そんな四人を様子を楽しげに眺めるように、セルゲイの高笑いが残る中でようやく聞こえてきたサイレンは、惨状を包み込んでいた。



痛み訳?
美姫 「難しいわね。勝つには勝ったけれど、みなみちゃんがね」
果たして、セルゲイが残していった置き土産とは何なのか。
美姫 「まあ良いものではないでしょうね」
つまり、美姫の置き土産と同じと。
美姫 「……浩〜。切られるのと、斬られるのと、刺されるのと、突かれるの、どれが良い?」
何か、全部同じじゃないのか?って、どれも嫌!
美姫 「それじゃ〜。大空を飛んでけー!!」
ぐりょわぁぁぁぁぁぁ!
ほ、本日は晴天なりぃぃぃぃぃぃ………………。
美姫 「それじゃあ、次回も楽しみにしてますね♪」



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