『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




XXX・夢想流離

 旭川の御剣家では宴の準備が進められていた。蔡雅御剣流の正統にあたる御剣一角が頭首の次に上忍、中忍、下忍をまとめる上位三忍と呼ばれる位を襲名するのだ。それは御剣だけはなく蔡雅総出で祝う一つの祭りと言っても過言ではない一大事である。
 本日の主役である一角は、早朝に操を見送ってから、まるで着せ替え人形のように着物を着替え続けた一角は、ようやく休憩となった午後三時に自室に戻ると同時にベットに倒れ込んだ。
「……一角姉、せめてドア閉めてからそういう姿とった方がええと思うんやけど」
「そんな余裕あるか……」
 用事があって開放されたと聞いた一角を訪ねてきた楓は、短パンとキャミソール姿で涼を求めるように鮪状態で倒れている一角の姿を見て大きく溜息をついた。
「それで何の用?」
「ああ、いや、うちも疲れたから、少しお茶でもしようかな〜って思ったんやけど、止めとく?」
「御菓子は六花亭のバターサンドにして」
「アハハ。了解や」
 ぱたぱたと力なく北海道では白い恋人に次ぐ人気菓子を要求する彼女に笑みを浮かべると、楓は御菓子にあう紅茶のレシピを浮かべながら部屋を後にしようとした。
「あ、楓」
 それを注文した本人が引き止めた。
「何や?」
「あの女の子の様子は?」
「一切変わらず。今は尚護君が看病を代わってくれてる」
「そっか。手、出したら殺すって言っといて」
 それには苦笑を浮かべて、楓は床の鶯を鳴らしながら台所へ向かっていった。
 また自室はしんと音が無くなった。どこか遠くで夜の宴の準備の雑踏が薄らと聞こえてくる。
 体が半分沈み込んだベットは疲れ切ってしまった一角の意識を、睡魔と言う暖かな闇が包み込んでいく。
 そしてほんの僅かな時間で、一角は眠りに落ちていた。

(気持ち良い……)
 沈み込む直前のまどろみの中で、布団に移った温もりが全てを蕩けさせていく。ゆっくりと体が末端から消えていく感覚に委ねていると、ふと、閉じかけた一角の視界に小さな白い光が映った。
(あれは?)
 ぼんやりとしている意識が好奇心に動かされ、一角は光に導かれるまま近付いていく。
 光が目の前まで来て、初めて光は小さな珠だとわかった。
 一角は不思議そうに珠を三百六十度見回すと、忍らしからぬ無警戒さで指を伸ばした。
 瞬間、光が一角すら覆い隠し、闇を完全に振り払った。
(ま、まぶしい!)
 光は奔流となって全てを覆い流し、それは一つの川となって一角を包み込んだ。
(ここは?)
 光の中、一角は恐る恐る瞼を開いた。
 そこにはどこか見覚えのある町が広がっていた。海と山に囲まれ、優しい風が吹き抜ける高校時代に暮らしていた第二の故郷。
(海鳴?)
 そう。
 そこは遠く離れた海鳴の町並みだった。
 駅から少し離れた場所には改築され、海鳴中と合併した風芽丘学園があり、海沿いには海浜公園もある。海浜公園から伸びる道の先には、よく真一郎や唯子、小鳥達と立ち寄った商店街があり、更に奥には先輩である瞳の関係で知り合い、何度か御飯をご馳走になったさざなみ寮が見える。と、そこで一角の体は最後に視線を向けたさざなみ寮方面に流され始めた。風に乗った風船のようにゆっくりと、そして確実に動く一角は、そこで体がさざなみ寮の奥にある小さな池に向かっている事に気付いた。
(あそこは……何だ? 急に何か思い出しかけてる……)
 自由にならない体で頭痛がし始めた頭に眉を顰める。
そのうち一角は水面の静かな池に到着した。
急激に胸に湧いた不安はいまや確実に的を持ち、夢のように思える空間で一角は頭を抱えて必死に記憶の引出しを開け放つ。だが引き出せた記憶は全てに霞がかかり、はっきりとしないもやもやとした思いだけが広がっていく。
「止めて!」
 その時、足元の池の辺で一人の少女が叫んだ。操が見つけたあの少女だ。
(あの子……。そうだ。何で不思議にも思わなかったんだ? あの子は……前に会ってるじゃないか……。海鳴の……この池で!)
 霞はまだ晴れない。
 しかし、一角の中に形作った確信は揺れる事無く少女を捕らえている。
 少女は、前に立っている二人の男に向けて厳しく睨みつけた。
「この娘はなんだ?」
 角刈りで深緑色のスーツを着た男が、隣にいる光を宿さぬ瞳に無地の白いローブのようなものを見に着け、胸に大きな青色の宝石をつけた男に質問した。
「ふむ。彼の娘が鍵となる存在」
「だとすると扉はどこだ?」
「扉は……すでにこの場にはない。何処かに隠れているのか?」
「まぁいい。鍵が外れればアレが飛び出すのだろう?」
 男達は少女の存在など気にする事も無く、ただ必要な会話を進めていく。
「ああ。日本の中で最大級の妖魔ザカラ。彼の妖魔を使えばあの御方の理想はすぐに達成できよう」
「それに貴公の目的も達成しやすいな」
「佐渡島殿……」
 スーツの男――佐渡島兆冶の一言に、ローブの男は無表情だった顔に厳しさを浮かべた。
「……すまない。貴公を怒らせるつもりは無かった」
「いや……大丈夫だ。佐渡島殿の言う通りなのだから」
 言葉とは裏腹に苦々しく呟いたローブの男は、一度深呼吸をすると睨んでいる少女に胸の宝石を突き出した。
「どかねばどうなるかわからん。鍵よ。我等の思いを汲んでくれぬか?」
 ローブの男は憂いを含んだ表情で、少女に通告した。しかし、少女も今引くわけにはいかなかった。
「……できません」
 はっきりとした拒絶の言葉。
 ローブの男は悲しげに眉を下げ、兆冶はそれまで浮かべていた絶対優位な表情から遊びを破棄した真剣さを叩きつけてきた。
「なれば……さらばだ」
 ローブの男の宝石が急激な光を放ち、スーツの男も少女も全てを光で覆い隠した。
「キャァァァァァァァァ! 氷那! ザカラ! ……真一郎さぁぁぁぁぁぁん!」

「雪!」
「うにゃぁ!」
 突然バネ仕掛けの人形のように体を跳ね上げた一角に、タイミングよくティーセットを手に戻ってきた楓は文字通り体を宙に浮かせて驚いた。
「あ……」
「い、一角姉……驚かさないで……」
 何となくバツが悪い一角は顔を赤くして、心臓の激しく向上した鼓動を抑えている楓に両手を合わせて謝罪した。
「ま、まぁ御盆に御湯がちょう零れただけやから大丈夫や」
 御盆をテーブルに置きぱたぱたと手を振る楓、一角はもう一度謝った。
「それでどないしたん? こんなに近付くまで熟睡してるなんて」
「うん。ちょっと夢を見てたんだ」
「夢?」
 忍はその特性上睡眠は身体の疲労を払拭するだけの行為に留めている。しかし、夢を見るというのは深層意識が表層まで浮かび上がり、薄くも頑丈な膜の中に精神を封じ込める。その時、本来ならば精神は簡単な刺激で目覚める表層に存在しているにも関らず、脳に蓄積された膨大な情報量を処理するために夢という世界を疑似体験させる。その間精神は動いているのだが同時に休憩を取るという反した行動を同時に脳は行う。即ち夢を見るというのは精神の休憩行為と同一なのだ。常に危機を察知しなければならない忍にとって、それは命取りにもなりかねない。
「幾ら自宅とはいえ夢を見るなんて珍しい」
「自分でもそう思う」
「ま、今日は慣れない着せ替え人形してたんやし、仕方ないかな」
「ああ。もう二度とこんなのはゴメンだ」
 少しだけだがゆっくりと眠れた事で、精神疲労のバロメーターの頭痛が幾分和らいでいた。
「そういえば、どんな夢見てたの?」
 御湯に通さずとも香る胸を透く茶葉の香りを堪能しながら、手際良く琥珀色の液体を作っていく楓は、御湯を零した原因になった一角の寝起きの際に何かを叫んでいたのを思い出し、自分の対面に座った彼女を見た。
「うん。何か変なんだけど……」
「うんうん」
「……なんだっけ?」
「あらら」
 思わず身を乗り出していた楓は、あっさりと期待を裏切られてそのままふかふかの絨毯に倒れ込んだ。
「ま、夢なんてそんなもんでしょ?」
「そうなんやけど、めっちゃ気になる〜」
 しかし、一角は知らない。
 夢とは情報をまとめる過程で生まれる副産物だ。だが夢は時折別の世界と繋がる。予知夢や予言として世界に広がる。そして世界とは何も未来だけは無い。確認されている次元世界だけではなく、他人と言う存在も一つの世界なのだ。
 そしてほんの一瞬だが、一角は少女と夢の中の過去を垣間見たのだと。



旭川と海鳴を舞台にさまざまな出来事が起こってますね。
美姫 「徐々に皆の記憶も戻っていくのでしょうか」
果たして、次はどんな展開に?
美姫 「気になる次回が待ち遠しい〜」
それでも待つしかないのです。
さて、それではこの辺で。
美姫 「さよなら〜」



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