『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』



]・終焉……だったらいいけど

「人斬り……」
「抜刀斎?」
 耳にした事もない異名に、真一郎と小鳥は互いの欠けた言葉を補うように呟いた。
「……幕末の頃、維新志士を守り戦った四天王と呼ばれる人斬りがいたと聞いた事がある」
 答えたのは傷のせいで今にも意識を失いかけている恭也だった。
「恭ちゃん?」
「中でも……最強と呼ばれ、維新三傑の他、当時の明治政府の要職についた数々の維新志士を守った英雄と呼ばれているが、名前が残されているだけで、その実態の殆どが謎に覆われている志士だ」
 まだしっかりと話す体力は残されているのだろう。
 流暢に語られた説明に、三人はしばし何も言葉を発さなかった。ただ校庭で笑っている刃衛の狂笑だけが校舎に反響してやけに耳障りに聞こえた。
「恭ちゃんが……歴史を知ってる……」
 隣で支えていた美由希の愕然とした一言に、緊張感を失っていなくとも恭也の半眼がむけられる。
「戻ったら鍛錬、覚悟しておけ」
「あう……」
 
 遠くのやり取りはしっかりと耳に届いていた。
 だが一瞬でも気を抜けば全てを絡めとって、深遠の底に引きずり込まれそうな剣気に、剣心は立ってるだけで精一杯になっていた。
 目の前に立つ狂人は一向に笑いを止めない。いや、それ以上に限界を超えて酷使した喉からは一度声を出すたびに血が溢れ出す。それでも刃衛は止まらなかった。
 どれだけ長い時間そうしていたのか?
 余りに異様な姿に小鳥は顔を背けて、美由希はあからさまに気持ち悪さを露にし、真一郎は今は遠い地で頑張っているいづみと共に解決した事件を思い浮かべ、そして恭也は少しだけ乱れ始めた呼吸をしながら、だが無表情に事の成り行きを見据えていた。
「クククク。いや、笑ったなぁ。しかし、まずは抜刀斎がどれほどの力量を備えているか、それを確認しなければなるまい」
 まるで食事を終えたようにあっさりと目尻に溜まった涙をそのままに、刃衛は額に汗を浮かべる剣心に視線を向けた。
「俺は緋村剣心だ。抜刀斎なんて変な名前じゃない」
「いやおまえは抜刀斎だ。その髪、体型、容貌、どれを取っても同じだ。だが、何より変わらないのは……」
 どこからとりだしたのか、刃衛は煙草を咥えるとマッチで火をつけた。
 大きく息を吸い込むと点火したばかりの煙草の先が真っ赤に光る。一息に半分まで灰に変え、刃衛はようやくニコチンを代表とする有害物質の塊である煙を吐き出した。
「その眼だ」
 一点の曇りもなく、ただ自分の信念を曲げずに刀を持つその眼。懐かしい……。
 刃衛は初めて純粋に懐かしさを噛み締めるという人間らしさを露呈した。
 ピンと煙草を指先で弾くと、ようやく刃衛は刀を構えた。
「せいぜい楽しませてもらおうかぁ!」
 狂狂と煙草が宙を舞っている
「こっちは願い下げだ!」
 早朝の冷たい空気が火をゆっくりと消していく。
「剣君……」
 小鳥の心配もよそに、煙草は煙を上げていく。
「緋村さん」
 美由希が緊迫感に耐えきれない時も、煙草は回転を止めない。
「剣心君」
 真一郎が真剣勝負を見つめる中で、煙草は地面へラストスパートをかける。
 そして――。
 恭也が瞳を少しだけ見開いた時、煙草は地面に落ちた。
 刃衛が動く。同時に剣心も前へ出た。
 速度は互角で、丁度真中で二人の剣士は刃を重ねた。しかし力が均衡する間もなく、二撃目に移る。逆袈裟に振り下ろされた一撃を受け止めると、返す刀で剣心は刃衛の脇腹を狙う。だが両手で握られた手と手の間の柄に衝突させるという離れ業を見せ、刃衛は逆刃刀を軸に刀を剣心の首元に斬りつける。だが剣心は軌道を予測して一度距離を取るべく斬撃に逆らわず、体を流して地面を転がった。
「ふえぇぇ。け、剣君凄い……」
 小鳥の素直な感想に、真一郎も頷いた。恭也から凄さを聞いていた美由希ですら口を手で抑えている。ただ一人、恭也だけが無言のまま成り行きを見つめていた。
「ン〜フフフフフ。飛天御剣流御得意の読みか」
「……知ってるのか」
 飛天御剣流は初撃から相手の動き、癖を含めた動きからどのような攻撃が繰り出されるのか? もしくは洞察力から瞬時に体を反応させる瞬発力を他の流派より多用する。それを総じて飛天御剣流の『読み』と呼ばれている。
 しかし、読みを知っていると言う事は、間違いなくどこかで飛天と闘った事実があるという事だ。
「知っているさ。身を持ってな」
 本当に楽しそうに刃衛は一の構えを取る。
「なら引いてくれ」
 剣心もどんな攻撃にも自然体で行動できる右下段の構えをした。
「冗談!」
 刃衛が突進してきた。
 しかし慌てる事もなく剣心は剣の流れに集中した。
 まず――構えから胴薙!
 刀の鍔元同士を噛み合わせて捌く。
 次は――そのまま平突き!
 刃衛の腕が後ろに引かれ、剣心の顔面を目指して突き刺す。それを首を僅かに動かすだけ避ける。だが頬に薄い切り傷がついた。そこに右斜め下から切り上げるが刃衛も読んでいたのだろう。少しだけ体を開いて回避した。だが切っ先が刃衛の服を切り裂いた。
 で――唐竹割!
 引いた突きから刀を持ち上げて、剣心の脳天を目掛けて鋭い一撃が来る。
 ここで崩す!
 しかしそれは予想範囲内だった。
 眼前に迫った刃に、逆刃刀の柄尻をぶつけて大きく弾いた。剣心の目の前にはがら空きになった胴が露にされた。
「飛天御剣流――」
 峰を使って顎を打ち上げるべき態勢を下げた剣心の目に、歯茎から血を溢れさせた刃衛の狂った笑みが見えた。
「だめだ! それだと……!」
 恭也が叫んだ。飛天御剣流の読みが反応するが、体が動き出すより先に左肩に衝撃が走った。衝撃はそのまま肩を貫通し、剣心の小さな体は後方へ吹き飛ばされた。
 それはまさしく背車刀だった。
 恭也が身に受けたのは横への変化を見せる背車刀。しかし、今見せたのは縦の変化を行ったものだった。
「うわぁ!」
 硬いグラウンドに叩きつけられ、苦痛が漏れる。
「剣君!」
「剣心君!」
 地面に吸い込まれて行く血に、小鳥と真一郎が悲鳴に近い声を上げた。
 だが、それすらも交響曲のように邪悪な笑みで聞き惚れると、刃衛は傷を抑えながら上半身を起こす剣心の視線の高さを合わせる様にしゃがみ込んだ。
「ン〜フフフフフフ。まさか二百年前と同じ読みをするとはなぁ。前であればかわせたんだろうが、ま、それは無理な相談か」
「ぐぐ……」
「しかしおまえの力量はわかった。そこそこ楽しめた」
 また煙草を取り出し、一気に半分を吸いこむ。
 そして心行くまで煙を楽しんだ後、刃衛は黄ばんだ歯の隙間から紫煙を吐き出していやらしく笑った。
「シネ」
 その言葉に一番反応したのは美由希だった。太股につけたホルダーから飛針を取り出し、刃衛に向けて投射しようとして、恭也がそれを止めた。
「恭ちゃん!」
「悔しいが、おまえじゃ勝てない。向かったところで緋村の前に切り殺されるのがオチだ」「だ、だけど……」
「それに、まだ緋村は諦めていない」
 どういう事なのか問われる前に、恭也はすっと指を向けた。美由希は誘われるように校庭に視線を移し、驚きを浮かべた。
 恐らくすでに魂の侵食の感覚は始まっているだろう。恭也よりも明らかに重症である傷を止血もせず、左半身がだんだんと鮮血に染まっていく中で、剣心はゆっくりと立ちあがっていた。
「まだ立てるか」
「死にたく……ないんでね」
 力が抜けていく腕で逆刃刀を納刀し、抜刀術の構えを取る。背中は脂汗でじっとりと湿っていたが、気にしている余裕も猶予もなかった。
「抜刀術……。ククククク! そこまで二百年前の再現をするか!」
「何言ってるのかわかんねぇよ」
 目の前にいるのは全く服装は違う別人のような青年だ。頬に十字傷もなく、紅の着物で身を包んでいる訳でもない。だが、抜刀術の構えを取る剣心は微塵の狂いもなく、記憶にある姿と重なった。
 いいぞ! いいぞ! 続きだ! 間違いなくあの日の続きだ! なれば一撃目を回避しても鞘打ちが続く双龍閃! 間違いない! 二撃目を避けた時! 俺の勝ちだ!
 ゆらりと刃衛は歓喜に身を打ち振るわせながら、刀を両手でしっかりと握り締めた。
 しかし、向かい合う剣心には刃衛のような余裕は残されていなかった。
 肩から流れ出している血は鞘の一部を紅く染め上げ、さらに眼の焦点すら霞ませていく。
 ――勝負は一撃。
 互いに視線をぶつけ、研ぎ澄まされた剣気が膨れ上がる。
 鞘を伝った血液が幾つもの水滴となり、剣心の足元に雫を落としていく。そして十を超えた時、刃衛の眼が限界を超えて見開かれた。
「いくぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 肉食獣を思わせる動きで、刃衛の巨体が剣心に迫る。
 剣心の右足が地面を踏みしめる。
 刃衛の体が剣の結界に入った刹那! 剣心の右手が動いた。
「飛天御剣流――!」
 右下方向から重圧が迫ってくる。それは二百年前に感じた白刃と一切の変わりがない斬撃。体の芯からざわざわと駆け上がる寒気を感じながら、刃衛は刀の峰を持って顔の横に構えた。瞬間、鼓膜を破るような激しい激突音が響いた。
 やった! やったぞ! 抜刀斎の双龍閃を止めた! これで続く峰打ちを受ければ俺の勝ちだ! 勝ちだ! 勝ったぞぉぉぉ!
 歓喜がにちゃと血が付着した歯を持ち上げ笑い声を上げかけて、受け止めた斬撃を見て驚愕した。
 それは刃ではなく黒い鞘。
 まだ逆刃刀を抜刀していない鞘が一撃目に打ちこまれたのだ。驚きから動きが止まった刃衛に、今度は剣心の瞳が煌いた。居合と見間違えるような速度で抜刀すると一切の防御のない左首筋から右脇腹に向けて、一気に振り下ろした。
 逆刃を通してミシミシという骨の軋みを受け止めながら、体ごと逆刃を地面に叩きつける。
「ぐ、ふぅ……。やる……ねぇ……」
 刃衛の巨体は、再び地面へと沈み込んだ。
「悪いな……。定石なら双龍閃なんだけど、俺は双龍閃・雷のが得意なんだ」
 踏鞴を踏みながらも、何とか堪えた剣心は激しく肩で呼吸をしながら倒れた刃衛を見下ろした。ダメージは深いが、逆刃刀の傷は殺すためのものではないため、刃衛は呻きながらも失神している。
 これなら、先程の恭也の時のように起きる事はないだろうと、ほっと息をついた時!
「御神ぃぃぃぃぃぃぃ! 抜刀斎ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
 刃衛が起き上がった。
 今度は隙なく見据えていた美由希が五本もの飛針を投げる。だが、刃衛は体に刺さる事にも気に留めず、剣心へ剛剣を叩きつけた。
 すでに刃衛の肉体を精神が凌駕していた。全ての痛みは痛みではなく、ただ目の前の獲物を叩き潰すという本能だけが肉体を動かしている。躊躇のない斬撃は受け止め様と構えるが、全ての力を注ぎ込んだ双龍閃・雷を使ったため、振り下ろされた一撃に逆刃刀ごと吹き飛ばされる。
「緋村さん!」
 今度は恭也も止めなかった。
 小太刀を両手に持って駆け出した途端に、美由希の頭にあるスイッチがかちりと切り替わった。色彩がなくなり、モノクロの世界に突入する。水の中を全速力で動いているような動き難さを感じながら、スローモーションになった世界を走る。
(ダメ……間に合わない……)
 しかし神速と言えども一回の使用で約五秒が限界である。
 美由希は焦りに顔を歪ませながらも、神速の領域を突き進む。
 そして神速が切れた。
「ダメェ!」
 百分の一単位で剣心に迫る剣に、美由希と小鳥の悲鳴が重なった。
 だが、再度奇跡は起きた。
「真威・楓陣刃ぁ!」
 神聖なる蒼い風の如き光が、背後から刃衛を叩いた。
「ぐおぉぉぉぉ!」
 刃衛の体がまるで粉雪のように吹き飛ばされ、校舎に衝突するのを体全体で追ってから、剣心は光の発信源を見た。そこには青と白の巫女のような服を纏った一人の女性が、刀を振り下ろした態勢のまま凛と佇んでいた。
「大丈夫か! 恭也君、美由希ちゃん!」
 あまりに唐突な出来事に、全員が声の主を見て、一斉に現れた彼の者の名前呼んだ。
「薫さん!」
「恭也さん、大丈夫ですかー?」
 続いて学校の壁沿いに聞こえてきた、どこかおっとりろした印象を与える声に恭也と真一郎が振り向くと、こちらは完全に巫女服姿の那美が駆けてきていた。
「那美さん」
「もう大丈夫です。十六夜さんも来てくれましたから、少し待っててください」
 霊力を治癒能力に変換する力を持つ那美は、淡い緑の光を両手に纏わせ、恭也の傷口に当てた。すぐに傷口から黒い埃のようなものが光に消されていき、侵食されていく感覚が消え去った。
 剣心に駆け寄った美由希の隣にも、神咲薫が刃衛に意識を向けながらも辿り着いていた。
「大丈夫か?」
「私は大丈夫なんですが、緋村さんが……」
 見ると貫通した傷は沸騰した鍋のように止まる事を知らず血を吐き出している。ぱっと見るだけでもかなり状態が悪い事はわかる。
「あ、あなたは……?」
 問い掛ける剣心に返答せず、薫は刀に呼びかけた。
「十六夜」
「はい……」
 瞬間、眩い輝きを纏い、十六夜が姿を現した。
「え? な、人が刀から……?」
「動かないで下さいね」
 寝不足と傷のせいでぼんやりとしてしまった頭がパニックになりながらも、十六夜の手を払う事無く貫通した肩を見せた。いや、十六夜が回り込んだ。
 那美と同じ緑色の光が灯り、傷口から黒い埃が消え去っていく。
「あ、何か気持ちいい……」
「その黒いのはわかるか?」
「詳しくはわかりませんが、どうやら呪いに近いもののようです」
「斬るだけで呪い? まさかそんな剣が?」
 薫と那美の一族は代々魔を退け、人々を守る退魔を生業としている。そんな彼女が眉を顰めるのだから、初めての状態なのだろう。ぴくりとも動かない刃衛から一寸だけ目を逸らし、十六夜の隣で傷を眺める。
「ですが事実です」
「本体を捕まえなければわからないと言う訳か」
 そう言って吹き飛ばした刃衛の方を見て、薫は声を上げた。
 そこには、クレーター状に穿って皹を縦横無尽に走らせた外壁が存在するだけで刃衛の姿はなかった。
 ただ、存在していたという証拠である血痕が校庭に残されていただけだった。

「何故邪魔をした?」
 憮然とした刃衛は、背後にいる人物に怒りを隠す事もな振りかえった。
「決まってるさ。言われてるだろう? 個人的な恨みは捨て、目的のために動く。それが制約の筈だ」
 人物はおちゃらけているのか、肩を竦めて無抵抗を示す。
「だが、今の俺ならばあんなの二人……」
「ダメだってば。神咲と霊剣十六夜も出てきた。おまえは退魔に弱いんだよ?」
「例え退魔士だろうとも敵ではない!」
 刃衛が激昂した。
 だが、その瞬間人物の雰囲気が激変した。ビルの屋上とは言え春先の暖かさを持った風が急激に冷気を含んだものへ変わり、寒さを刃衛に吹き付ける。
「……しつこいね。ダメだって言っただろう?」
「ぐぅ……」
 人物の目が冷酷な煌きを放つ。
 その光に射ぬかれて刃衛は無意識に柄を探すが、刀は何時の間にか人物の右手にしっかりと握られていた。
「それに、あの御方が呼んでいる」
「それを先に言え」
「あら? 話なんて聞く気もなかったくせに〜」
「まぁいいさ。クククク。また機会はある。それまで……更に強くなっておけ。御神、そして抜刀斎……」
 直後、屋上に刃衛と人物の姿はなく、ただ風だけが吹き付けるのみだった。



何とか勝負は終ったものの、新たな敵の影が……。
美姫 「しかも、刃衛もまだ倒れてないしね」
一体、敵は何者なのか。非情に気になりつつも、大人しく次回を待つしかないのでありましたとさ。
美姫 「確かに、早く続きが読みたいわね」
うんうん。とりあえず、次回も楽しみに待ってますね〜。
美姫 「じゃあね〜」



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