『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』



\・死闘再び

 背中越しに聞こえてくる闘いの音と気配に後ろ髪が引かれないか? と、聞かれればすぐにでも振り返って恭也の助太刀をしたいと思っていた。しかし、恭也が言い切った霊障と言うキーワードに、美由希は全てを振り切って走る事にした。
 こういう時に機械オンチな自分が恨めしい。
 しかし大学生にもなって携帯電話すら持っていない自分を叱咤しようと、現実は一向に好転しない。だからさざなみ寮へ連絡するために公衆電話を探すが、焦りからかこういう時に限って見つからない。スペースを取る電話ボックスから省スペースタイプに切り替わった電話会社に滅多に使わない下品な言い回しで悪態つきながら、美由希は何時しか茅野町へと迷い込んでいた。
「何でコンビニがあるのに公衆電話がないの!」
 電話会社の設置計画では公衆電話は半径二百メートル以内に最低一つとなっている。しかし住宅地に駅前や繁華街のようにやたら意味なく設置される訳もなく、美由希は肩で大きく息をついて足を止めた。
 落ちついて。落ちつかないと。恭ちゃんの事だからそう簡単にやられちゃう訳ない。だから私も最善を尽くさないと!
 沈み込んでしまう心を上向きにさせるため、パンパンと高い音を立てて両頬を叩く。
「あ……」
 それは本当に偶然だった。
 気合を入れて持ちあがった目に、あるマンション名が飛び込んできた。つい昨日、引っ越してきたばかりの後輩を連れて来たばかりの建物。WINDHILLSを見て、美由希は神に祈りたい気持ちになった。
 神速を使ったのではないか? と、思えるほど素早くエントランスにかけこみ、落ちつかない頭に必死に昨日見たメモの部屋番号を思い浮かべる。
 震える指で一つ一つ確実に番号を入力し、そしてベルのマークが描かれたボタンを押した。
 聞きなれている電子音がエントランスに鳴り響いた。
 そして静寂。
 チャイム音が消えた後の耳が痛くなる静寂の中で、美由希は頭に組んだ両手を当てて、もう一度祈りが通じてと、願った。
『……はい、野々村ですけど……』
 寝ていたのかぼうっとした女性の声に、美由希は涙を流して剣心の名前を叫んだ。

「うん。うん。そう。風校の校庭。うん。……え? 薫さんもいるの? うん。御願い。相手は日本刀を持ってたの。那美さんじゃ……。それじゃ後で」
 明りが灯るリビングに、受話器を置いた音だけが木霊した。
「本当にありがとうございました。明日急に連絡を取らなければいけない状況でして……」
 リビングに集まった人々、と、言っても実は宴会が今まで続いてたので四人ともがまだ起きていた。しかし明日仕事がある小鳥はそうそうにソファで横になり、栄治と一緒に酒を酌み交わしている真一郎と、栄治の権力に屈して徹夜二日目を覚悟していたところ、インターホンが高らかにに鳴った。受話器に一番近かった小鳥が目を覚まし、耳に当てたところ泣きながら剣心の名前を呼んでいるので、三人のジト目を背中にチクチクと感じつつエントランスに行くと美由希がおり、今に至っている。
 つまりはまだ詳しい説明は一切受けていないのだ。
「で、できれば訳を聞きたいんだけど、時間がないんだろう?」
 何度か店の手伝いの時に見かけた真一郎に問われ、美由希は神妙に頷いた。
「お義父さん、車借ります」
「真一郎君?」
「ま、訳はわかんないけど、翠屋で顔は知ってますし大丈夫ですよ」
「……確かに私も見覚えはある。わかった。真一郎君を信用しよう」
 小太刀を二本も腰に下げている少女を、真一郎と栄治は二人とも信じると言いきった。
 ソファの後ろにある棚の上に無造作に置かれていた鍵を受け取ると、真一郎は小さく頭を下げて立ち上がった。
「風校でいいんだよね?」
「は、はい」 
 女性のような顔立ちの真一郎に一瞬胸を高鳴らせたが、何とか冷静に頷く事が出来た。
「じゃ、剣心君も行こうか」
「へ?」
 それまでどこか遠目で眺めて観覧していた剣心に話が振られて、二日続きの徹夜疲れからあまりに御間抜けな返事を返してしまった。
「……だって美由希ちゃんは剣君を頼ってきたんだよ?」
「いや、まぁ、そうなんですが……」
 しかしそれは電話を貸してくれって来ただけだし、別に俺は行かなくてもいいよなぁ。それに眠いし。この状態で行ったら明日も鷹城先生になんか言われそうだなぁ。あ、言われるといったら相楽にいらん疑いを向けられそうだし。
 眠気が思考をまるで違う方向へ誘導していきかけた時、美由希の潤んだ瞳が目に入った。「恭ちゃんは、あなたが凄く強いって言ってました。一緒に……一緒に来てもらえませんか?」
「う!」
 床に直接座り込んでいるのでかなり上から見下ろされているのだが、俯いた拍子に一滴だけ零れた涙に、剣心はチクチクとした視線を感じた。それでなくても昔から女性の涙には弱い。前に付き合っていた彼女も別れる時に泣かれてしまい、そのままずるずると付き合っていそうになったくらいだ。
「で、でも、俺は高町さんの兄さんに会った事ないよ。どこで強いって……」
「えと、昨日の夜に小太刀二刀の人と闘ったと思いますが」
 さすがに忘れようとしても忘れられない。
 途中で剣心が犯人扱いされたのだから。
 と、そこで美由希が言いたかった事が理解できた。
「あ、もしかしてあの人が?」
「はい。兄です。昨日の件は改めて謝罪に伺います。でも、今は御願いです! 助けてください」
 心で思っても滅多に他人を誉める言葉を口にしない兄が誉め、しかもまた試合たいと言い切らせた剣心だ。確実に自分より役に立つ。そんな美由希の必死の懇願に、剣心にささる視線の密度が三倍ほど膨れ上がった。
「とりあえず送るだけ送ろう。一応頼られたのは剣心君だからその後どうするかは後にして車で行こう」
 すでに二分は無駄にしている。
 これだけ切羽詰まった様子を見せる美由希を案じて、真一郎は妥協とも取れる案を提示した。
 これには剣心も渋々頷いた。
 ……もっとも、視線が、特に小鳥からの視線に耐えきれなくなったのは心の片隅にしまい込む。
 満足そうに頷いて、真一郎は車を玄関に回すために一足先に外へ出ていくと、小鳥も心配になったのかちょこちょこと後をついていった。
「ちょっと待ってて」
 美由希に聞かれないように小さく嘆息し、剣心も逆刃刀を取りに部屋へ戻っていく。程なく出てくると、そこには真面目な表情をした栄治が立っていた。
「くれぐれも気をつけて」
「はい」
 その一言を挨拶に、剣心は部屋を飛び出していった。美由希も栄治に頭を下げると後に続いた。

 すで美由希が校庭を離れてから十分が経過していた。
「風校までなら車で一分もかからない。飛ばすから三人とも掴まってろ!」 
 東の空が白んでくるのを見て、真一郎は言うが早いかアクセルを思いっきり踏みこんだ。途端に空転し、ゴムの焼ける匂いと激しく鳴る音に車体が一瞬振られる。だが瞬時に熱を含んだタイヤはしっかりとアスファルトに噛みつき、四人を乗せたセダンを急発進させた。「のわ!」
「キャ!」
「キャァ!」
 後部席の女性二人が互いに抱き合い、剣心も急なGに助手席のシートに押し潰される。しかし運転席の真一郎は馴れたもので、まるで手足のようにセダンを操っていく。
「し、真君……、なんで平気なの……?」
「フランスでちょっと、ね」
 少々恐くてそれ以上聞けない小鳥だった。
 華麗なシフトチェンジに、左右を流れる景色が一瞬に後方へと移動して視界から消えていく。元々直線が主である通学路で、正門につけるためにちょっとS字状になっている個所があり、真一郎は速度を緩めずリアを流した。前方からかかっていたGが突然斜め後ろに抜けるGへ変わり、小鳥は美由希にしがみ付いて瞼を強く瞑る。そんな小鳥をしっかりと抱きしめて、美由希は迫ってくる校門を睨み付けていた。
 そしてそれは剣心も同じだった。
 竹刀袋から逆刃刀を取り出すと、すぐに飛び出せるようにシートベルトを外す。
「よっし! 着いたぞ!」
 校門前の広いスペースに百八十度ターンで停車すると、剣心はドアを蹴破る勢いで外へと飛び出した。
 すぐ目の前に広がる校庭。
 そこには地面に座り込んでいる恭也と、後ろに倒れている刃衛の姿があった。
「なんだ。心配する事もなかったな」
 運転席から降りてきた真一郎も大きく息をついた。 
 隣では美由希と小鳥も安心したのか笑顔で顔を見合わせている。
しかし剣心は見落とさなかった。
 刃衛の指が僅かに動いたのを。
 
 恭也が影に気付いた。

真一郎が息を飲んだ。
 
 小鳥が悲鳴を上げた。

 美由希が驚愕した。

 だが、たった一人だけ動いていた。
 鈍い金属音と共に腕を衝撃が抜ける。そして振り返ると飛針を構えている恭也に、一言こう言った。
「よ、大丈夫か?」
 そして剣心は恭也の前に立ちふさがった。
「お、おまえは……」
 恭也に答えている余裕はなかった。
 鞘のまま受け止めたはいいが、怪我をしているとは思えぬ剛力に、支えているのがやっとだった。一寸でも気を抜けば中身が入ってるとはいえ、刀ごと真っ二つにされてしまいそうだった。
 数瞬しか受けていないのに額に浮き出る汗が、幾つも集まって玉となり鼻筋を伝う。
「……邪魔をするな。糞餓鬼ぃ!」
 血によって暴走した脳内麻薬はアドレナリンを多量に分泌し、刃衛の腕を二倍に膨れ上がらせる。
 ずしりと増加した重圧が剣心の細い体を数センチ地面にめり込ませる。
 それでも逃げる訳には行かなかった。
 ちらりと見ただけだが、恭也の腹部の傷はそれなりの深さがあるように見受けられる。ならば自力で動くのは難しいだろう。
「それなら!」
 体全体を使って一度刃衛の刀を持ち上げると、次の瞬間左手の力を抜いた。支えを失った刃が剣心の服をかすめて地面に直径三十センチ程度のクレーターを穿った。
 血によって暴走していた刃衛は上半身を完全に伏せるほど力を込めていたために動け鳴る一瞬をついて、剣心は恭也を片手に校門へ離れた。
「高町さん、パス!」
 駆け寄る美由希と小鳥に、負傷した恭也を預けると剣心の顔がすうっと引き締まった。 何故なら刃衛の眼は、力任せに地面に刀を叩きつけた事で冷静さを取り戻していた。
「ン〜フフフフフ。おまえも中々に強い」
「そりゃど〜も」
 軽口とは反対に、剣心は隙を見せずに刃衛を中点に右に移動した。校門に近いと真一郎達に迷惑がかかる上に、守りながら闘えるほど自分を過大評価できない。それは刃衛を前に感じる剣気に、裏付けられている事実だった。
 あ〜……これは絶対にハズレだ。これだから女の涙に関ると酷い目にあうんだよ。前は周囲に泣かせたと誤解されて噂が消えるまで針の筵だし、その前は家に泊まりに来てた妹の友人の御風呂を偶然に覗いちゃって、全員に袋叩きにあったし……。
「ん? おまえ……まさか……いや、そんな筈は……」
 ふと自分の不幸さに涙しかけた剣心に、刃衛が眉を顰めた。
 何事かとも疑問符を浮かべるが、それでも狂人が行う行動が意味はない。と、剣心は逆刃刀を抜いた。
 それが更なる狂喜への幕を開けるとも知らずに。
「逆刃刀だと? そうか……やはり貴様は……」
「なんだ?」
「そうか、そうか! そうかぁぁぁぁ! 貴様かぁ!」
 美由希と恭也が対峙していた時とは比べ物にならない高笑いを上げ、刃衛は心底嬉しそうに、そして舞台でエンドロールを行う主演のように両手を広げた。
「二百年前の再演だぁ! 人斬り抜刀斎ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
 死闘は再び血の雨を求めていた。



おおー。何やら面白くなってますな。
美姫 「益々次回が楽しみね」
おう。次回分も既に届いている事だし、早速読み耽ると致しましょう。
美姫 「じゃあ、また後で〜」



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